本研究の目的は、江戸時代における献上儀礼のあり方に注目し、宗教者・地域社会と仏教本山が取り結んだ社会的・政治的な関係を明らかすることである。具体的には、西本願寺教団を素材とし、親鸞や蓮如の遠忌、本山堂舎の修復などに際して、信者から本山へどのような懇志上納が行われるかを探った。 最終年度の成果としては、これまで収集した史料の精緻な分析を挙げることができる。例えば『備後国諸記』は、西本願寺と地域寺院のやりとりを記録したものだが、その内容を分析することで、福山藩領の懇志上納団体である備後御畳講の成立過程、ならびにその後の盛衰が明らかになった。 また、備後御畳講の世話人をつとめた戸手村信岡家に残る古文書も、前年度までに収集した重要な史料であるが、その分析を行うことで、懇志上納にいたるまでの具体的な費用徴収方法、献上品の入手や運搬方法も明らかにできた。 江戸時代は、様々な社会集団相互が、献上・下賜行為を通じて、円滑な関係性の構築を模索した時代である。本研究で取り扱った西本願寺への精力的な懇志上納も、江戸時代の社会状況を象徴的に示すものといえる。特に、備後御畳講から西本願寺へ献上された畳表は、地元の特産品であるとともに、本山堂舎の整備にかかせない物品でもあった。そのような特産品の献上を、本山がどのように引き出し、また地域社会がどのような認識の下で行ったかは、江戸時代における宗教勢力の存在形態を解明する上で不可欠といえる。本研究の成果は、この点に集約されている。もっとも、本山側の信者に対する働きかけはおおむね明らかにできたものの、献上行為を行う地域社会が、内部にどのような対立・葛藤を抱えていたかは、まだ詳細に分析しきれていない。在地史料のさらなる発掘につとめ、今後この不備を補っていきたい。
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