本研究は、19世紀後半~20世紀初頭の露清帝国の文書史料を調査・分析することによって、新疆イリ地方を中心とする中央アジア諸集団の紛争解決の事例と、帝国側の多民族統治政策との相関を検討した。 ロシアによるイリ地方統治期を経て、国境画定条約とそれらを補う交渉・議定書策定を通じて諸民族集団の国籍・帰属はより明確になった。このような変化と並行して、当該の地域において露清両国にまたがる国際的な紛争の解決のために、現地の慣習法を参照しつつ、諸民族集団も交えた三者間での合議による裁定が制度として確立していった。
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