ルーヴル美術館の計画に認められる「ナショナル」な意識が美術館開館時にどのように反映され、革命下のナショナル・アイデンティティの創出に関わるかという問題に、アンシァン・レジーム末期および革命初期の「ナショナル」な主題の美術作品の内容、美術館構想の主導者たちの知的関心、美術館開館に向けた議論と開館の実態という、主に三つの柱からアプローチした。 フランス美術における「ナショナル」な意識は、美術館の前身として1750年に開設されるリュクサンブール宮ギャラリーに端を発するといえるが、ここでは流派が問題であった。サロン展の開催が定着し、「フランス派」の存在が誰の目にも明らかになった続くルイ16世期には、今度は作品の主題の選択に「ナショナル」な意識が認められ、フランス史に取材した作品が登場するようになった。ところがフランス革命の過程では、過去、とりわけアンシァン・レジームは否定の対象となり、フランス史の主題は姿を消す。国有化されたフランス全土の美術品の中から選定された美術館の展示作品には、新たに聖堂や修道院などから接収された宗教画を多く含んでいた。「悪しき過去」が軽視した、より「正統」に近い古典主義への回帰という側面もあろうが、展示作品の一部と展示方法は、否定したはずの過去をそのまま引きずっており、旧体制色の排除の方針は徹底していない。革命政府の狙い通り、旧体制が成し遂げられなかった美術館の開館という大事業を達成した意義は大きい。しかし革命の精神に基づくナショナル・アイデンティティを創出するメディアとしての機能は限定的であった。 以上の成果は、美術館の開館を旧体制の否定という側面のみからとらえる従来の解釈に再検討を迫る。また美術作品および美術館への政治色の反映は、革命下であっても直接的にとらえられるわけではなく、文書・図像両面からの多角的で慎重な検討を要することが明らかとなった。
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