最終年度には、第一次世界大戦以前の家族の保護をめぐる議論のひとつ、母性保険構想を取り上げ、母子保護に関する施策要求の内容を論者ごとに分析してとりまとめた。そのうえで、ドイツ連邦文書館、プロイセン州立図書館およびドイツ国立図書館において同時代の行政史料と文献を調査し、必要なものについて複写した。 これらの調査ののち、大戦中とその後の戦争寡婦への援護について、同時代の戦争犠牲者団体が発行した雑誌記事や行政資料の分析を進めた。寡婦の場合、本人の年齢のほかに、子どものあるなしや子どもの年齢にもよるが、支給される遺族年金額は生活をカバーすることを想定していなかったため、職業教育を受けさせて就労させることが重視された。遺児に関しても、学校卒業後の生計手段を身につけさせる職業教育に大きな力点が置かれていたことが明らかになってきた。いずれも、戦争という大きな社会変動による生存危機に対して、あらたに帝国援護法を制定して、遺族年金の請求権認定という福祉の論理にもとづく支援が示されたのである。 兵士遺家族支援の対象者として、死亡した兵士の両親にも年金請求権が与えられていたが、雑誌記事を分析すると、「家族」支援の内容はほとんどが妻と子どもを想定していたことが明らかとなった。ここからは、19世紀から20世紀の転換期以降に理想化された男性の稼ぎ手と専業主婦に子どもからなる核家族が、援護すべき「家族」とされたヴァイマル期の状況が浮かび上がってくる。並行して進めていた第二次世界大戦後の戦争障害者支援においても、彼らが一家の扶養者となるべきだという世論にそって援護法も構築されたことを確認した。世界大戦は、核家族をあるべき家族像とみなす傾向をいっそう強めたのである。 これらの研究成果の一部は、2014年に発行予定の京都大学人文科学研究所が編集する第一次世界大戦研究の総括論文集に発表するよう準備を進めている。
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