15世紀から20世紀初頭までは、小氷期と呼ばれる世界的な寒冷期であった。本研究では寒冷のピークである17世紀に限定することができる遺物を含む伊達市有珠地区のカムイタプコプ下遺跡の発掘調査を実施し、合わせて周辺の地質調査や自然科学的手法によって自然災害も含めた古環境解析を行った。平成25年度は以下のことが明らかとなった。 (1)1640年駒ヶ岳噴火津波は、津波堆積物の分布を調査した結果、海岸から少なくとも250m内陸まで侵入していたことが明らかとなった。本遺跡はもちろん、ポンマ遺跡や有珠4遺跡もこの分布範囲に含まれ、当時多大な被害を受けていたことが推定された。(2)検出した柱穴と炉跡によって、チセ(アイヌ民族の住居)は8×6m規模であると判明した。(3)新たに炉跡を2つ確認した。炭化材の年代測定値と津波堆積物との層位関係から、一つは15世紀後半のものであることが明らかとなり、16世紀まで使用されていた可能性もあることが判明した。もう一つの炉は1640年に近い時期に使用されていた。これによって、周辺に複数の別住居が存在していた可能性が高いことがわかった。(4)1663年に近い時期に使用されていた畑跡を有珠山火山灰(Us-b)との層位関係によって確認した。さらに、畝の上に作物痕のような跡が確認された。また、1640年の津波堆積物の下方にも畑跡を発見した。(5)花粉分析の結果、遺跡周辺は乾燥した草地であったことが判明し、寒冷な環境であったことを示唆する結果も得られた。(6)貝塚から得られたアサリを使って、微細成長縞と酸素同位体の分析を行った。これまで、1640年から1663年は現在より貝類の成長速度が遅く、夏が短く低海水温だった可能性が高いことが示されていたが、さらに、1640年前後で環境が変化していたことが判明し、1640年以後がより寒冷であったことが判明した。
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