本研究は、「近代日本における再分配と社会的包摂の政治思想」をテーマとした。具体的には、二宮尊徳にはじまる報徳運動を、自生的な共同体を利用した再分配と社会的包摂への試みと捉え、統治機構による再分配を前提とした「租税」スキームや、ボランタリーな主体によるセーフティーネットの構築を目指す「慈善」スキームと対比しつつ、その強みと弱みを明らかにすることを目指した。こうした作業によって、従来、ともすれば福祉国家的(welfare state oriented)なリベラルか、市場志向型(market oriented)のリバタリアンか、という二項対立に陥りがちであった再分配を巡る政治諸構想に、日本型コミュニタリアンという新たな対立軸を提供することが期待された。 本研究は、しかし、当初年度から研究計画の変更を余儀なくされた。上記の計画においてはいわば「藁人形」として配置されていた「市場志向型(market oriented)のリバタリアン」の思想系譜の内在的理解について再考を迫られたからである。そこで近代日本における「市場志向型(market oriented)のリバタリアン」の思想系譜の典型例として田口卯吉の秩序構想に着目しつつ、いわば消去法的に家族や共同体による社会的包摂を志向する思想潮流の分析を企てることにした。 最終年度における西村茂樹論、阪谷素論また後藤新平論は、そうした「消去法」的な接近視角による成果であると言えよう。
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