本研究は、戦間期東アジアにおける国際保健事業の戦後への継承と地域内国際秩序の関わりを明らかにすることを目的とする。第二次世界大戦中、連合国陣営では1943年に設立された連合国救済復興機関(アンラ)を中心に、伝染病対策や食糧の共同管理など国際的に組織化された行動が展開され、それが戦後の国際組織化の基盤となったことが前年度までに明らかになっていた。この点に着目し、平成26年度は戦後の国際保健協力の確立が脱植民地化の動き、ならびに戦後東アジアにおける国際保健協力とどのように関連したのかを検討した。 戦後の国際保健体制を確立するなかで、当時アジアやアフリカに植民地を有していたイギリスとフランスは、植民地の参加方法を巡って真っ向から対立した。フランスは植民地が直接保健事業に参加することを強く拒んだのに対して、イギリスは植民地が直接参加できる体制を求めた。アメリカは脱植民地化の観点から後者を支持し、結局、植民地が直接参加できる体制が確立された。アジア・アフリカの国々は独立後、次々と世界保健機関に加盟し、ユニバーサルな保健行政が確立されていく。そしてアジアでは、WHOとユニセフを中心として、母子保健事業や感染症対策をはじめとする様々な保健事業が展開されていく。この研究成果は英文の研究論文のまとめ、海外の学術雑誌に投稿した。 第二次世界大戦中の連合国の保健協力、ならびにその動きの脱植民地化への影響を検討することに予想以上に時間がかかった。このため、この動きがアジア地域内協力にどうつながっていったのかに関しては十分な検討することができなかったが、研究期間終了後も引き続き、研究を進めていきたい。
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