本研究の目的は日本の戦争責任と戦後補償について日本国民の間での統一的な見解が戦後65年を経ても形成されていない原因を探る事にあった。研究者は、この事態を戦争責任、戦後補償を定める国際人道法の内包化の過程の停滞として捉え、その原因を「解釈主体」間の連携の弱さゆえの「解釈共同体(Interpretive Community)」の機能の問題にあると仮定し、その研究を行った。その過程で研究者は研究対象をアジア女性基金による元慰安婦への道義的補償事業への賛否の議論に絞り、アジア女性基金による当該事業が限られた成功に終わった原因を分析した。また賛否の議論のディスコース分析は関連資料やインタビューに加えて、3,600名を対象としたサーベイによる実証研究によっても補強された。 この研究は、アジア女性基金をめぐる議論の過程の停滞は、官民共同での道義的補償機関を担うアジア女性基金をめぐる「解釈の共同体」内での対話がそもそも機能しなかったことにあることを明らかにした。また対話の停滞の原因は、官民共同の道義的補償を各派(主に一部の保守派と一部のリベラル)がそれぞれの存在論的安心(Ontological Security)に基づいて解釈した結果にあるということを明らかにした。つまり、アジア女性基金の「官民」共同での「道義的」補償という考えが各派の拠って立つアイデンティティをなんらかの形で脅かすと各派が警戒したため、客観的歴史事実に基づく対話(基金の各派の対話)でさえ困難になり、終にはアジア女性基金の官民共同の道義的補償事業の意義について両派から理解を得ることも不可能になったことを明らかにした。 この研究は国際関係の枠組みの一つであるコンストラクティヴィズムにおいて「解釈の共同体」の機能の論理の精緻化に貢献する。
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