本研究課題は、スミス『国富論』の独訳分析とガルヴェの近代社会論分析の二本柱により構成されるものであったが、特に後者の課題についてはドイツで集中的に研究する機会に恵まれ、当初の計画以上に進展させることができた。翻訳を思想的所産とみなす場合、研究目的にも記したとおり、その独創性を問うにあたって言語的置換の詳細を追跡するだけでは不十分であり、それを補填するためにも思想家の原著解釈を、たとえば彼の近代社会観の解明によって引き出す必要がある。その意味で上述の二本柱は個々に存立しうるものではなく、あくまでも緊密を保たねばならない。近年、わが国において『国富論』の独訳の存在と意義は、比較的広範囲において認知されるところとなったが、その背景となるガルヴェの近代社会論分析は、依然として十分な進展をみていない。最終年度は、ガルヴェの近代社会論の分析対象を拡大し、従来十分に扱われなかったものを含む大小様々な著作分析を行い、『国富論』翻訳の背景を構成する彼の近代社会観の具体像を明らかにし、研究史上の弱点を克服することに大きく寄与したものと考える。 ただし、研究期間全体を通じて研究代表者は、『国富論』の独訳ないしはガルヴェの思想を経済思想史におけるひとつの点として位置づけようとするよりは、近代ドイツにおける思想史そのものの重層性、より具体的には道徳哲学の諸形態を解明することに力を尽くしてきた。近代社会論分析が当初の計画を超えて多様化したことは、その帰結に他ならない。研究期間内にガルヴェのみならず多くの思想家の著作を扱ってきたが、本研究の成果により、『国富論』の独訳を狭く経済思想史や経済学史といった直接関係する分野のみならず、学際的空間に位置づけ分析する必要があるという研究開始時の問題意識の正当性を証明し得たものと考える。
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