本研究では、1950年代に形成された日本型学校経営システムの特質と構造の解明を行なった。閉鎖性・官僚性を指摘されてきた戦後日本における教育行政の統治システムならびにそのもとでの学校管理体質について、これを1950年代に概念として発生し定着してきた「学校づくり」実践に即して再検討を加えることによって、これまでの学説的見解に対し新たな知見を見出すことに成功した。すなわち学校づくりとは、概念発生段階より実践者たちによって官僚的で閉鎖的な近代日本の学校管理システムに対するアンチテーゼとして理念化された学校経営モデルであり、そこでは①教職員間の民主的な学校運営、②父母・地域住民の学校経営参加、③子どもの意見表明機会の提供、といった戦略視点をすでに内包していたことが実証的に明らかとなった。 とりわけ今日の「子どもの貧困」問題に示唆しうるのは、学校づくり実践が国内各地で展開されるようになった50年代半ば頃には、日教組が方針提起して取り組みがすすめられた「学校白書運動」の存在である。学校白書運動は、各学校を基礎単位として学校ごとの教育活動に必要な経費を見積り、これを全国的に集約することによって教育費の無償化のために必要な国家予算の総額を可視化するものであった。このことによって「国家財政の限界」を名目とする義務教育無償化の論拠は崩れ、福祉国家財政への転換の必然性を実践的にも理論的にも明らかにすることが可能となったのである。 しかしながらその後、50年代に部分的に表出された福祉国家構想は、日本型雇用が復活するようになると頓挫することになる。義務教育費は教科書など一部で無償化を実現するものの、普遍的な制度としては確立することがなかった。学校づくりはそうした制度的不備を補いながら新しい役割を担うようになった。
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