本研究は、「大学における教員養成」の原則が成立した第二次世界大戦後初期にさかのぼり、戦前師範教育が生み出したとされる視野の狭い教員すなわち「師範タイプ」を克服することを期待して導入された一般教養の位置づけを明らかにすることを目的としている。こうした目的のもと、戦後初期の一般教養重視の理念と各大学の実態の乖離を描き出し、「師範タイプ」克服をめざす養成教育の追究が不十分だった戦後教員養成の課題を描き出した。 対象としたのは、戦前の師範学校を再編して発足した国立の教員養成大学・学部であり、主な時期は敗戦後から1950年代までである。これら大学・学部が主として養成してきた小学校教員と中学校教員は、それぞれ全科担任制と教科担任制をとってきたため、養成教育のあり方をめぐって異なる面も多いはずである。ところが、教員養成大学・学部では、小・中学校教員が義務教育教員として曖昧に一括りにされて養成された。その過程で、一般教養を通じて小学校教員に必要な全教科にわたるオールラウンドの力を養うとされると同時に、小・中学校教員養成のどちらにおいても専門学と異なる教科専門教育を追究する中で、一般教養が教科専門教育と混同されていき、一般教養重視の理念が急速に後退していった。 現在もなお、教員に幅広い視野が求められていると同時に、教科専門教育のあり方をめぐって合意形成が十分できているとはいいがたい。さらに、小中一貫教育との関連から小・中学校教員養成のあり方も再検討が迫られている。こうした課題に対して、本研究は、歴史研究の立場から考える視点を提供することもできたといえよう。 なお、本研究の一部を「戦後初期の教員養成改革―「大学における教員養成」の成立と一般教養の位置づけ―」(お茶の水女子大学博乙344号、2014年3月)に反映させたうえで、最終年度は不足部分の調査及び研究の総括と今後の課題の整理を行った。
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