本研究は、アメリカ連邦政府による教育財政援助のなかでも、従来から着目されてきた個人援助と機関援助ではなく、これまで看過されていた連邦政府の一組織である中等後教育改善基金(以下、FIPSE)の実施する財政援助のありようを検討する意図を有している。そのために、FIPSEの成立過程を明らかにすることを目的としている。 2012年度は、1972年教育改正法の制定過程について検討することを研究課題として設定した。この研究課題を明らかにする上で、FIPSEがどのような過程のもとで創設されたのかを分析すること、機関援助が同法を通じて重視されなくなった経緯を考察すること、以上の2点を具体的な作業課題とした。 これらの作業課題を検討するにあたり、連邦議会議事録などの関連諸資料を収集、分析するとともに、現地において、FIPSEプログラムオフィサーのフランク・フランクフォート氏や創設期FIPSEの運営に関わったチャールズ・ヴァンティング氏への聞き取り調査を実施した。 以上の研究活動の結果、次の3点を明らかにした。第1に、FIPSEによる財政援助は1972年教育改正法によって法制化され、現在に至るまで予算が支出されている。なお、創設当時は、FIPSEの補助金獲得をめぐって、年平均1500~2000件の申請が大学等からなされるなど、教育現場に大きなインパクトを与えていた。第2に、全ての大学等に対する機関援助は、連邦政府の役割として選択されなかった。第3に、付随的・限定的な機関援助である教育経費補助は法制化されたけれども、実際に支出されることはなく、1976年の法改正では規定自体が削除された。
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