従来の高等教育研究はマーチン・トロウの問題意識の一つであったエリート段階からマス段階への移行の際に生じるさまざまな葛藤について、どのような政策対応が取られたか、また、取られなかったかという観点からの検討をあまり行ってこなかった。本研究はマス化が進行した1970年代において、進学者の抑制が政策目標とされる一方で、職業高校に在籍する生徒の進学希望を叶えるという課題が存在したことに着目した。政策課題が認識されつつも必ずしも積極的には解決が図られなかった理由について、理論枠組みに関する研究会の開催、各団体の政策提言や大学史等の資料収集・分析、関係者に対する聞き取り調査を通じて検討した。 当時、マス化そのものが否定されることはなかった。他方、マス化に伴う葛藤への対応策はアクターによって異なっていた。職業高校の生徒が入学試験の際に被る不利を問題視するアクターは高等教育のカリキュラムに高校の職業教育が「接続」されることを求めた。マス化の特徴の範囲内で高等教育の多様性を求めたのである。その問題を扱うことに慎重な姿勢を取るアクターは、進学者の増加に由来する諸問題を意味する「高学歴化」を危惧することから、職業高校の生徒が不利にならないように入学試験を見直すことを主張するだけであった。高等教育の多様性よりも入学試験による選抜を重視したのである。このアクター間の対立は解消されることはなく、職業高校に在籍する生徒のための進学を容易にするようなカリキュラム改革、入学試験改革は行われなかった。決定しないという決定を行う「非決定」の政策過程が存在したのである。一方、そうした政策の位相とは異なって、高校の職業学科に「接続」する試みを始めていた大学も存在した。新設の小規模工業系私立大学は在籍する学生数こそ少なかったものの、そうであるがゆえにマス化の進行に伴う葛藤への対応を積極的に取ることができたのである。
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