コンパクトシティの重要性がさかんに議論されているが、それが実現されつつあるとは言い難いという実態を踏まえ、理論としては常に存在しながらも実態としてはほとんどコンパクトシティを受け入れてこなかった日本の都市づくりを振り返り、その理由を考察するため、下記の研究を行った。 1、コンパクトシティ論の源流である田園都市論とそれに影響を受けた制度の日本における受容を調査し、田園都市論における「都市の大きさ」にはあまり興味を持っていなかったことを明らかにした。2、戦前都市計画における路線的商業地域の指定の実態を調査し、ほとんどの都市において新規に計画した広幅員の街路沿いを商業地にしようとしていたことを明らかにした。3、戦前の都市計画家等の都市の大きさに関する思想を整理し、市街地が無秩序に拡大していくことは問題視していたが、大きくなること自体を問題視する専門家は少なかったことを明らかにした。4、戦後の都市計画関係の法律、計画を整理し、都市の大きさを制限するための緑地が、次第に「都市計画」の分野から外れていったことを明らかにした。 以上より、法定都市計画の初期段階において、都市の面積的な拡大についてはあまり関心が持たれていなかったこと、むしろ、自然との関わりが持てるものとして、郊外の緑地にがもたれていたことが明らかとなった。さらに、そうした緑地は、都市を経るにつれて農業や自然保護の対象となり、都市計画行政の範囲外になったことで、都市と一体的に整備するための行政的基盤が失われていったことが明らかとなった。
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