研究課題/領域番号 |
23760607
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研究機関 | 東北文化学園大学 |
研究代表者 |
大沼 正寛 東北文化学園大学, 科学技術学部, 准教授 (40316451)
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研究期間 (年度) |
2011-04-28 – 2014-03-31
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キーワード | 建築歴史地理 / 民家 / 天然スレート / 北上川 |
研究概要 |
本研究は、北上川流域に位置する宮城県石巻市雄勝町・登米市登米町にて明治から昭和にかけて産出された建築屋根材料・天然スレートに着目し、それらが北上川流域の民家普請にどう伝播し、どのように地域景観が形成されたのかを明らかにするとともに、それらの保全方策を考察する、建築史構法・技術史、地理学および景観論・保存修復学に関わる基礎的調査研究である。調査計画段階では(申請時は)、初年度に北上川流域の広域走査と海外の比較視察調査を計画していたが、採択時期に東日本大震災に見舞われ、大学研究室への入室もままならない時期もあって、着手の遅延から始まった。そして何より、本研究の調査対象地域の多くが南部三陸沿岸地方であったため、津波で壊滅的な被害を受けたことから、研究計画を再考することを余儀なくされた。ただし根本の方針を変更するのではなく、広域文化的景観の概況を知るためのフィールド調査(空間分布)と、それらの成立過程(時間=歴史調査)の双方で進める前提で、現場の状況をよく勘案して、研究の進め方を改善するというものである。とりあえず初年度は、刻々と変わる現地の状況、がれき撤去や復興問題を勘案し、産地でもあり遺構も数多くあった石巻市旧雄勝町地区を中心として、その残存状況を悉皆的に把握することから始め、海外の比較調査等は、やむを得ず次年度以降にまわすこともやむなし、という優先順位を設けた。結果的として、上記中心地域である雄勝町地区については、現地の復興計画などの進み具合、被災住民の感情等に配慮しながら、申請以前に悉皆的に調査していた情報を基盤として、その残存状況を確認する調査を行い、500強あったスレート民家の7割が滅失、3割が高所に残存していることがわかった。また広域的には、北限を知るため岩手県南を訪れ、北上市および金ヶ崎町内に殆ど存在しないことから、凍害と普及域の予測をつけることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
視察調査の候補地としていた南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石などの沿岸部が壊滅的な被害を受け、景観調査を行うにはあまりに悲惨で、かつ被災者の心を逆撫でしかねない状況となっていたことは、本研究にとって、言い尽くせぬ困難となったことは否定のしようがない。科学研究費の性格上、目的外の支出は厳禁であり、当然、申請者もそれを遵守したものの、端的に言えば、この調査に訪れる前には、予め別予算(学内個人研究費等)において現地を訪れ、被害状況確認や復興計画への協力等を行い、十分現地の安全を確かめたうえで、調査を行わなくてはならなかった。しかも現地往復は復旧車両とともに大渋滞を往復するので、調査はきわめて能率を欠いた。これらは物理的に越えられない障害となってしまった。とはいえ、逆に旧雄勝町地区という中核地域を悉皆的に歩くことだけは貫徹でき、また合わせて、山口弥一郎ら昭和三陸津波後のフィールド調査結果を熟読する機会を得て、当地のスレート屋根の普及ストーリーを、これまでよりもリアルに想定できるようになったことは、大変収穫だったと言える。
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今後の研究の推進方策 |
次年度以降は、雄勝町地区のような悉皆調査はかなわないが、北上川流域の広域走査を行うことを第一とし、それらの分布概況をつかむことに主眼をおく。このため、初年度に予め購入しておいた調査・集計のための機器備品が、それらの効率化に寄与するものと考えている。また、空間的把握をベースとしながら、現地の人脈を少しずつ開拓し、そこでのヒアリングと文献調査を合わせ、この地方の普及状況を記述していくことを、後半の課題としたい。これらを次年度からの2年間に遂行し、論文執筆等につなげていきたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
次年度以降は、基本的に備品購入はしない。ただし、購入した備品の維持や印刷、記録等にもちいる各種消耗品は相応に必要となるだろう。また、これらの情報を整理していくうえで、指導している学生らの協力を得ることも重要となることから、そのための学生協力アルバイト代などに充てていく所存である。さらに、2年目もしくは3年目に、現地調査の折りをみて、一度は海外の比較調査を行いたいと考えている。
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