鉄川与助の大工道具の復原を通して、教会建築がどのように実現したのか検討した。 次の4点が判明した。①鉄川与助の時代の技術に通じる人は今やごく限られた人である。②復原鉋の削り形状を青砂ヶ浦天主堂(1910)と頭ヶ島天主堂(1919)で対照させた。聖体拝領台手摺り、階段手摺、窓枠などに合致した。③鉋のひとつはフランス・サンテチエンヌのMANUFACTURE FRANCAISE社製(期間は1902~1910)で、日本でもカタログを通じて購入可能であった。④③の溝鉋はド・ロ神父がもたらした可能性が高い。これは、パリ外国宣教会の宣教師の各地での活躍をカタログ通販が下支えした可能性を示唆する。
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