史料調査として、東京では、宮内庁書陵部において、平塚飄斎の日記・著作を悉皆調査した。飄斎は京都町奉行所の与力を務めた人物である。飄斎関連史料のうち、その著書『牧民心鑑解』の成立過程に関わるものは、文献複写を依頼した。この本は、幕末期の仁政思想を探るために重要な書物である。国立公文書館では、堀田正俊に関する史料を閲覧・撮影した。特に、延宝録や人見私記などに留意した。正俊は5代将軍・徳川綱吉のもとで大老を務め、天和の治を主導した人物である。一橋大学附属図書館では、佐倉藩堀田家のマイクロフィルムの閲覧・印刷を行った。これも、正俊に関する史料を中心に調査をおこなった。 名古屋市においては、人見弥右衛門に関する文献の調査、撮影を行った。弥右衛門は尾張藩の国奉行を務め、天明の藩政改革を主導した人物である。特に弥右衛門が版行を指揮した『牧民忠告解』に関する史料を調査した。長岡市においては、藩政史料、農政史料、家老・河井継之助に関する史料調査、撮影を行った。 情報交換として、福山市・宮崎市・鹿児島市において、藩政・大名家研究者たちと報告会を開き、また、現地の史跡を巡検した。 研究報告として、北海道歴史研究者協議会において「近世政治思想と明君録 ―儒教と仁政をめぐる将軍と大老の相克―」(北海道歴史研究者協議会)を行った。これは、大老・堀田正俊と将軍・徳川綱吉の相克を、正俊の著作『ヨウ言録』という明君録の分析からさぐったものである。研究発表論文として、「「御家」の思想と藩政改革-越後長岡藩牧野家の「常在戦場」をめぐって」(『歴史評論』2013年2月号、№754)がある。これは、近世中期に長岡藩牧野家の家訓がいかにして作為され、それが藩政にどのように影響したのかを明らかにした論文である。
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