研究課題/領域番号 |
23820015
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
川口 悠子 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 助教 (60612116)
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キーワード | 原爆 / 広島 / 平和運動 / 被爆者救援運動 / 日米関係 |
研究概要 |
本研究は、占領期に、広島の原爆被害に対する日米両社会の認識が、非政府レベルの日米間交渉を通じて、お互いに影響を与えていた様子を明らかにすることを目的としている。具体的には、'広島の谷本清牧師という人物を中心におこなわれていた平和運動や被爆者救援活動に焦点をあてる。 2011年度は、広島市の公文書や谷本の私文書などを検討し、以下の二点を明らかにした。一点目は谷本がそのような活動を構想した過程である。米国訪問中の1949年初頭、谷本は、平和運動・被爆者救援運動のためにヒロシマ・ピース・センターという団体を設立し、これを日米の市民の協力によって運営することを計画した。この計画は、訪米に先立つ時期に谷本が広島で取り組んでいた活動を元にしつつ、米国の協力者らの意図を取り入れ、米国の世論に適応するように修正したものであることが明らかになった。 二点目は、谷本のそのような活動が批判を浴びた理由である。谷本と広島の地域社会のあいだに摩擦が生じた原因のひとつは、彼が、個人的な経歴からいっても、上述のとおり米国の著名人の協力を得て、その影響を受けつつ活動を進め℃いたという組織的な面からいっても、米国と近い関係にあったことだった。言うまでもなく、米国は原爆を投下し、また日本を占領していた国である。加えて、冷戦の激化を背景に、反米・共産主義系の平和運動が日本である程度の支持を得つつあったことも、摩擦に拍車をかけた。 原爆被害はもっぱらナショナルに記憶されてきたできごとであり、しかも占領期は原爆をめぐる情報は厳しく統制されていた、と考えられがちである。以上の事例は、占領下の当時、・原爆をめぐる活動が、さまざまな制約を受けつつも国墳を越えておこなわれていたこと、その際、谷本の活動自体も、広島でのその受容も、国際情勢の影響を密接に受けていたことを明らかにすることができた点で意義を持つ。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究開始当初は、谷本が受けた批判を手掛かりに、広島の被爆者と米国側の運動関係者のあいだの、原爆観のせめぎ合いを考察する予定であったが、この点は充分に検討することができなかった。しかし、ヒロシマ・ピース・センターの構想が、米国側の運動関係者の影響を受けて大きく変化していたことは、予想していなかったの発見であり、広島側のアクターと米国側のアクターの意図の相違を考察する重要な手がかりとなると考えられる。これらのことを勘案すると、おおむね順調に進展していると言って差し支えないであろう。
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今後の研究の推進方策 |
今後はまず、米国側の運動関係者とその背景を明らかにする。谷本を支持したのはどのような人々で、当時の米国のどのような政治的・社会的情勢を背景としていたのかを、谷本に協力したジャーナリストらに重点を置いて検討する。当初はキリスト教関係者に焦点を当てて検討する予定だったが、2011年度の研究の結果、ジャーナリストらがヒロシマ・ピース・センター構想に与えた影響が、予想よりも大きいことが明らかになったため、ジャーナリストらに焦点を当てるものである。そして、2011年度の研究成果とあわせて、広島の地域社会に生きる被爆者と米国側の運動関係者の、トランスナショナルな結びつきと、両者のあいだの原爆観のせめぎ合いとが、いかにして同時に存在していたのかをより深く多而的に考察する。
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