本研究は、難解とされてきたベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタに関する19世紀以降のさまざまな解釈をとり上げ、作品解釈と、指づかいやフレージングといった演奏実践との関係を明らかにした。先行研究において「楽譜」中心主義、「原典」至上主義として位置づけられてきたハインリヒ・シェンカーによる後期ピアノ・ソナタ解釈と演奏指南を批判的に読み直すことで、当該テーマに関するこれまでの枠組みを再文脈化し、19世紀の「実用版」楽譜の立場も新たに歴史化した。本研究では、出版当時は需要があったものの現代日本では入手することのできないエディションや、手紙等の一次資料を数多く扱い、シェンカーの時代の言説に沿って丹念に内容をたどりつつ、当時の価値観を分析した。この作業のために、ドイツ・オーストリアを中心に資料調査を行い、19世紀の中古楽譜を収集して回った。収集した楽譜資料は、詳細に読み解き、翻訳や研究作業の基礎素材とし、研究の実証性を高めた。また、19世紀から20世紀初頭にかけて出版されたベートーヴェンのピアノ・ソナタのさまざまなエディションをとり上げて、その異同を明らかにした。エディション間にみられる類似や相違が、校訂者の思想的背景とどのように関連づけられるのか、あるいは関連づけられないのかを明らかにし、作品解釈史や演奏史の歴史化を試みた。一方で、作品解釈の特徴と校訂実践との関係を探るために、シェンカーや周辺の音楽家がピアノ・ソナタやその他のジャンルの作品をどのような価値観のもとに解釈していたかについて、主として物語論の概念を応用して分析した。以上の研究成果について、国内外で口頭発表をおこなって今後の研究活動のためのネットワークを構築すると同時に、学術雑誌に論文を投稿し、成果を公的に発信した。
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