本研究の目的は、植民地支配の構造、特にその本質である暴力性を、植民地権力と在地社会との支配の合意調達をめぐる動態的な関係から明らかにすることにある。特に、朝鮮民族と共有しうる政治文化の創出が模索されたと見なすことが可能な「文化政治」という植民地統治形態を取り上げ、支配のヘゲモニーをめぐる植民地権力と在地社会との対立・「協力」関係を考察し、朝鮮社会と共有できる政治文化を創出しようとした総督府の政策と、それへの朝鮮社会の動向をあわせてみていく。 平成24年度は、過年度から引き続き、朝鮮の身分解放運動である衡平運動をめぐる民衆の暴力事件について個別具体的な事件の調査を行った。同運動への民衆の暴力事件は、伝統的差別と知識人の民衆への啓蒙的眼差し、そして植民地権力の対応とのせめぎ合いを端的に表すものであり、そうした分断的様相こそが植民地統治構造の一端を指し示すものだと考えるからである。本年度は、過年度の調査を踏まえ、そうした身分解放運動の朝鮮内での位置づけを明らかにするために1920年代の朝鮮内での言論状況をについて調査を進めた。特に知識人の民衆観に関する史料を焦点にしながら史料調査・収集を行った。こうした状況を踏まえ、個別具体的な事例として衡平運動を位置づけなおした。朝鮮において社会主義思想が受容されていく中で、知識人の民衆啓蒙運動がどのように展開され、民衆との関連性がどのように変質していくのかを解明することは、運動史的側面のみならず、朝鮮知識人の対民衆観、そして逆に民衆の知識人観をも明らかにするはずだからである。このように総督府権力、社会主義者、身分解放運動勢力が朝鮮民衆を挟撃する状況を解明することは、植民地権力のみならず、(国民としての)民族解放運動勢力からも排除されていった植民地支配における重層的な暴力構造を動態的に把握することにつながると考える。
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