(1)平成23年度に引き続き、対馬藩の資料調査を遂行した。これまでの江戸藩邸における資料に加え、国元へも調査範囲を広げて日記類の通覧を行った。その結果、藩主の生母が有馬に養生に出かけた際、大坂や京に滞在時、芝居町で歌舞伎を繰り返し見ていた事実を確認した。さらに、藩主の参勤交代に関する資料を調査したところ、大坂や京で芝居町から歌舞伎や人形浄瑠璃を屋敷へ呼びよせていた事例も収集できた。国元では藩主の意向により、人形浄瑠璃を会得した小姓たちが上演していたことも確認した。藩主やその家族を中心とする、江戸・大坂・京の演劇文化に対する関心の高さが実証され、それらが国元の文化にどのような影響を与えていたか、考証が必要との見通しが得られた。 (2)鳥取藩士森藤十郎の日記「覚書」の考証を進め、武士の生活において、江戸での勤めとその際に体験する都市の演劇文化がどれほどの意義を持っていたのかについて、分析した。大名家の江戸藩邸での芝居上演には、家中のレクリエーションのためといった性格が読み取られる場合もある。番付の写しを江戸から国元へ送らせた事例も確認でき、演劇文化に対する関心の高さ、享受層の広がりを明らかにした。 (3)調査結果はそのつど、上演記録データベースに反映し、その結果、ニューヨーク・パブリックライブラリー・スペンサーコレクション所蔵の古浄瑠璃本について、データベースとの照合により、考証を進めた。二代目和泉太夫が元禄期に進めた新機軸について、具体的に解明した。
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