本研究は、先進工業国のデモクラシーにおいて攻撃的戦争が起こる条件を、開戦判断時点と戦争のエスカレーション決定時点に着目して導き出すことを目的として行った。安定したデモクラシーにおいては、軍が攻撃的戦争を主導した例は見当たらず、むしろ文民政治指導者が下す開戦決定に対して反対した事例が少なくないことを多様な事例検討を通じて例証したこれまでの研究成果のうえに、より詳細な開戦判断と国内的背景の分析を行った。 本研究を通じ、安定したデモクラシーの国民は自らのコストを十分に認識しないゆえに、または実際には血のコストを負担することがないゆえに、戦争に圧倒的な支持を与えてしまうことが少なくないということを多数の事例から導き出すことができた。研究結果からは、文民指導者個人から見た戦争のコスト・ベネフィットはしばしばベネフィットが上回ることは明らかである。ただし、私が定義した「シビリアンの戦争」、つまり文民主導で軍が反対する攻撃的戦争が起こる条件を単純に一般化することには、当初予測したように困難が伴う。むしろ「条件」といっても、そもそも国際政治の観点からは合理的に説明することの難しい攻撃的戦争がデモクラシーにより引き起こされる場合の背景を分析し、国民や政府が主導する小中規模の戦争がいかにして容易になっているのかについての国内社会分析を精緻化させる方がより本質的な学術的貢献をなしうると考え、その方向に注力し、結果を残した。 最終的に、研究成果は二つの単行本(単著)へとまとめることができつつある。ひとつは、すでに刊行した『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店、2012年10月)である。もうひとつの成果はより国内社会にフォーカスした形で研究を進めている。理論章はあらかた執筆を終えた。今年9月の日本政治学会で骨子の報告を行い、年度内に執筆を完成させて、新潮社から刊行する予定でいる。
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