研究課題/領域番号 |
23830036
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研究機関 | 琉球大学 |
研究代表者 |
越智 正樹 琉球大学, 観光産業科学部, 講師 (90609801)
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キーワード | 三六災害 / 復興 / 公園化 / 共同性 |
研究概要 |
三六災害から50年を迎える長野県下伊那郡大鹿村を対象とし、復興の過程で生じた表裏一体の現象-村内の共同的関係の再構築と復興災害-を分析することが、本研究の目的である。 本年度は、大西山崩落地付近の災害前と後における土地所有関係の変化、および崩落跡地の利用案が村共有の公園として一本化していった経緯、に焦点を当て1回の現地調査を実施した。調査内容は、関係村民に対するインタビュー(被災農地の組合長、被災林野の地権者、公園化に関わった人物、元村長など)、および村役場や公民館における資料収集である。 まず被災した水田地帯は特定集落の領域ではなく、営農者の居住地は数個の集落に分かれていた。くわえて被災度合いは田地によって異なっており、復旧(特に補助金の分配)にあたっては個人間調整の困難を余儀なくされた。この状況に対して、基礎集団に依拠しない集落横断的農業組織が重要な役割を果たしたことがわかった。その一方で、被災林野や崩落後地については、このような役割を果たすコミュニティが存在しなかったことも明らかになった。崩落跡地が村有化されたのは、被災30年後のことであった。しかしその村有化を待たずに、すなわち地籍の定まらないままに、この崩落跡地は「桜の名所」「新しい村のシンボル」として公園化された。そのプロセスは最初から桜の公園へと向かっていたものではなく、村当局も村民らも、様々なアプローチを試みていたことが明らかになった。 官民境界の不明確な崩落跡地の「村のシンボル」たる公園化は、公と私のせめぎ合いと、ゆるやかな共同性とが、相互に包み込み合うプロセスであったことが明らかになってきた。昨今、被災地への桜植樹が東北各地で行われつつある中、このような先行事例における経験の分析を通じ、復興プロセスにおける問題探索を行うことは重要である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
災害後に村外へと移出した者の現所在について、今年度の調査ではほとんど把握することができなかった。
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今後の研究の推進方策 |
50年前の村外移出者については、村当局もほとんど把握しておらず、実査可能性は不明な部分が大きい。今後は、村民への聞き取りの中で移出者の現所在が明らかになり次第、かれらへの調査は実施することにする。したがって研究の比重は、村内での復興プロセスのさらに詳細な解明に置くこととする。具体的には、崩落跡地が公園となったあとの観光資源化の分析、および被災水田地帯の集落横断的農業組織の村落社会学的分析、を主軸として進める。
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