本研究は、国際貿易体制の規範構造を①戦間期の米国互恵通商協定、②前期GATT、③後期GATT、及び④WTO 体制という4 つの時代区分に応じて分析し、その歴史的展開を実証的に明らかにすることを目標としたが、今年度は、特に①戦間期の米国互恵通商協定から②前期GATTへの移行過程に関して、日本では入手できない資料を収集するため米国国立公文書館を訪問するなどして、調査・研究を行った。 その結果、1942年相互援助協定第7条の規定に基づいて開催された英米両国の専門家会合においては、多角的かつ一律的な関税削減と詳細な通商規定、及びかかる通商規定の遵守を監督する国際機関の設置という方法によって、文字通りの貿易自由化を目的とした多角的自由貿易体制の創設が模索されていたこと、これに応じて1943年から44年にかけて策定された米国の戦後国際通商協定案においては、戦間期の互恵通商協定に挿入されたエスケープ・クローズに代わって、「既得権者の新たな状況への適応を容易にするための方法」が考案されていたこと、しかしながら、その後1945年の互恵通商協定法の延長に際する国内産業及びその代弁者としての議会からの圧力によって、米国の戦後国際通商協定案は国別・産品別の関税譲許とその効果を保護することを目的とした戦間期の互恵通商協定類似の規範構造を有するようになったこと、これに応じて一度は「既得権者の新たな状況への適応を容易にするための方法」へと姿を変えた戦間期の互恵通商協定のエスケープ・クローズが、再び姿を現すことになったことが明らかになった。 上記の点は、GATTからWTOへと至る戦後国際貿易体制の発展が、いわば戦間期の英米両国の専門家によって構想された国際貿易体制への回帰の過程として位置づけられることを示唆するもので、国際貿易体制の歴史的展開の理解に対して重要な知見を加えるものと考えられる。
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