19世紀前半におけるイギリス公益事業の形成・発展は、基本的に民間のイニシアティブにより行われた。しかし、20世紀初頭の公益事業における国家・地方政府の所有する割合は、鉄道が0%、電信が100%、水道が80%、電力が72%、トラムが56%、ガスが29%となり、事業間でばらつきが見られた。 イギリスの鉄道事業は、19世紀を通して民間のイニシアティブに基づき発起・設立・建設・運営が行われ、議会や政府の介入は運賃規制や郵便・軍隊輸送などに限られていた。しかし、鉄道会社を事業構造の視点から分析すると、オープン形態(上下分離形態)、中間形態、クローズド形態(垂直統合形態)の3つの形態が存在し、時代とともに変化が見られた。鉄道会社は、基本的に垂直方向(中間形態からクローズド形態への移行)と同時に、水平方向(相互乗入れや路線延長)・多角化(サービスの多様化)という3つの方向に沿って成長・発展した。 例えば、グランド・ジャンクション(GJ)鉄道の場合、当初は中間形態を採用し、鉄道会社だけでなく他社も輸送を行うことが可能であった。しかし、GJ鉄道の取締役や経営幹部は、自ら独占的に輸送業務を行うことが成長性、組織的効率性、コスト優位性等の面で望ましいと判断し、外部の輸送業者を排除する取り組み(すなわちクローズド形態への移行)を開始した。こうして、輸送業者ピックフォードとの間で訴訟問題に発展し、裁判所は独占的であると判断した。本研究では、GJ鉄道によるクローズド形態への移行の取り組みが、単なる技術的必然性ではなく、経済的側面から主体的・計画的に進められたことを実証的に明らかにした。 一方、電信事業など他の公益事業は、次第に国家や地方政府の所有に移行していった。鉄道事業と他の公益事業との相違は、各事業の位置づけや発展段階、企業規模、企業数、独占と規制の状況、議会への影響力等が関係したと考えられる。
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