研究課題/領域番号 |
23K00818
|
研究機関 | 佐賀大学 |
研究代表者 |
三ツ松 誠 佐賀大学, 地域学歴史文化研究センター, 准教授 (10712565)
|
研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2028-03-31
|
キーワード | 日本史 / 国学 / 明治維新 / 南里有隣 |
研究実績の概要 |
佐賀藩が明治新政府に数多くの人材を送り出せた背景には、家職を継承する条件として学力試験を課すという、全国的にも異例の仕組みを導入して学問を奨励したという事情がある。神職もその例外ではなく、藩が儒学のみならず国学の学校を設け、神職がそこで能力試験の受験を必須化されたことは、全国的にも例を見ない。しかもその国学学校の中心人物は、禁教だったキリスト教思想を受容した神道思想家として名高い、南里有隣だった。しかし既存の研究は、南里有隣独自の思想が佐賀藩でどう展開され、新政府に入った彼の弟子らにどのように影響したのか、ほとんど注目していない。本研究は、関係史料の調査を通じ、南里有隣が関わった佐賀藩の国学教育機関の実態と、その影響を受けた人々が明治維新に果たした役割を明らかにすることを目指すものである。 本年度は佐賀県内に残された史料を主な調査対象とした。その結果、領内神職の断片的な日記で、彼が神学寮に通っていた時期のものが残っていることが分かった。ほとんど実態が知られていなかった神学寮の在り方を考える上で、貴重な手掛かりになるだろう。また、明治初期の領内神職の名簿も見つけることができた。そして、南里有隣思想の神学的特質として指摘されてきたアメノミナカヌシ中心主義が、副島種臣や久米邦武といった新政府で活躍する佐賀藩出身の学者にも共有されていることがわかってきた。アメノミナカヌシ重視の立場は他の九州出身の神道家にも見られるものであり、これらの影響関係が、今後追究するべき課題として浮かび上がってきた。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究代表者が年明けすぐに病気にかかり、しばらく勤務が叶わない状況になった(現在は復帰している)。それまで一定の進捗を見ていたものの、これにより予定通りの研究遂行が難しくなり、遅れが生じた。
|
今後の研究の推進方策 |
研究計画を立案した段階では懸念されていた、新型コロナウィルス禍による研究環境の悪化は、幸いなことに抑えられてきている。県外への移動の制約が復活することもなさそうである。新年度は南里有隣研究資料を含む村岡典嗣旧蔵資料など、県外に残された関係史料の調査を進めることで、情報の幅を広げる予定である。 また、それに合わせて大規模学会で調査成果を公表し、史料情報や論点に関するフィードバックを得ることで、一層の研究進展を目指す。 他方、新たに見込まれる職場での業務負担のために研究が滞ることを防ぐため、バイアウト制度の利用によって、作業時間の確保に努めたい。
|