研究課題/領域番号 |
23K04222
|
研究機関 | 長崎総合科学大学 |
研究代表者 |
山田 由香里 長崎総合科学大学, 工学部, 教授 (60454948)
|
研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2028-03-31
|
キーワード | 天守最上階の祭祀空間 / 天守の階段位置 / 名古屋城天守 / 小田原城天守 / 名古屋城天守 / 安土城天守 / 丸岡城天守・彦根城天守 / 松本城天守 |
研究実績の概要 |
2023年度は、松本城、名古屋城、小田原城、江戸城、安土城、丸岡城、彦根城、駿府城の天守、天守跡、資料調査を実施した。天守の階段の位置と祭祀空間は関係し、階段から遠い位置に祭祀空間が置かれることが確認できた。 松本城天守(1597)最上階には、梁の上に二十六夜社が祀られる。1618年から毎月26日に行われた二十六夜待で、米3石3斗3升3斗を炊いて供え、東の山に上がる月を待った。天守最上階から東に、袴腰山、王ヶ頭、茶臼山が見える。最上階の間取りは、東方を遥拝できるように階段が北東につく。 名古屋城天守(1615)は、最上階が6×4間(48畳)の広さで、南北に細長い長方形で4室に分かれ、北東の部屋に階段で上り、北西、南西、南東の順に三の間、二の間、一の間の構成だった。金城温古録によると、南東の部屋に箱が複数置かれ、開かないように封がされ、置く向きも決まっていた。これらは、名古屋城鎮守の三ノ丸天王社、東照宮、若宮八幡宮と関係があると思われる。 丸岡城天守(1623以降)は、3階まで登る階段が部屋の隅に急勾配で設けられ、各階になるべく広く内部空間を設けようとする。3階の階段を上がって正面は東で、元和図には東の山が描かれる。 彦根城天守(1606)も、3階まで登る階段が部屋の片方に急勾配で設けられ、各階にはなるべく広く内部空間を設ける。周囲に天守を眺める井伊神社(初代・2代を祀る)や観徳殿(11代を祀る)がある。天守にも祭祀施設があったことを予感させる。 駿府城は、1585~1590、1607~1616に徳川家康が居城し、1610年に天守が完成した。天守台の石垣広さは68×61mで、江戸城天守台の1.5倍以上の規模をもち、天守は5重7階だったとされる(1635焼失)。天守から富士山も見える。最上階の祭祀空間可能性は充分にあり、家康が崇拝した摩利支天社を祀る静岡浅間神社などを確認した。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
5年の研究期間に30箇所の天守の現地調査を予定している。2023年度は8箇所の天守の現地調査を実施した。天守的建築の類例として慈照寺銀閣、鹿苑寺金閣も調査した。臼杵城、福岡城、佐賀城、熊本城を見る機会にも恵まれた。よって、順調に進展している。 研究実績の概要で述べた他に、次の情報を得た。今後の調査対象である。 臼杵城天守に掲げられていた扁額「勝安穏城」は東光寺に残る。 福岡城は天守の代わりに祈念櫓があった。祈念櫓は本丸の鬼門を守護する櫓の伝承をもつ。祈念櫓2階に黒田長政(福岡藩初代藩主)寄進の十二天の画幅と、祈念櫓月並護摩供本尊の画幅が安置されていた。他に、四天明王像の四幅、星曼荼羅、十六善神像の画幅があった。祈祷は吉祥院が担った。吉祥院は、福岡城築城時に地鎮の修法も行った。吉祥院は、警固神社の神宮寺であった(警固神社の北隣の敷地にあった)。吉祥院は、神仏分離令で失われたが、現在の警固神社の場所にあった。現在、祈念櫓にあった画幅を探索中である。
|
今後の研究の推進方策 |
2024年度は、前年度に引き続き、天守の調査を実施する。 中国・四国地域の、萩城、松江城、姫路城、広島城、高松城、丸亀城、今治城、松山城、宇和島城、松山城、大洲城、高知城などを予定する。 2023年度の成果から、天守最上階が祭祀空間ならば、階段の位置と内部空間の確保に関係のあることが明らかになった。注目しながら、現地調査と資料調査を実施する。また、祭祀空間に安置された画幅などは、後世に藩主の菩提寺に移された事例が多かった。現地調査の際に合わせて探索する。
|
次年度使用額が生じた理由 |
一度の調査で複数の天守を調査するため、当初の計画より旅費がかからなかったためである。調査計画は順調に進んでいる。
|