研究課題/領域番号 |
21H00582
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
西川 杉子 東京大学, 大学院総合文化研究科, 教授 (80324888)
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研究分担者 |
黛 秋津 東京大学, 大学院総合文化研究科, 教授 (00451980)
福嶋 千穂 東京外国語大学, 大学院総合国際学研究院, 准教授 (50735850)
西山 暁義 共立女子大学, 国際学部, 教授 (80348606)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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キーワード | プロテスタント / 外交ネットワーク / モルダヴィア侯国 / コンスタンティノープル / 近世 / 啓蒙 |
研究実績の概要 |
当初の予定では、令和4年7月までに、事前準備、研究会を開催:資料・情報の交換を行う、イギリス・ドイツで資料収集を行い、令和5年3月までに、ウクライナ周辺諸国での現地調査、調査結果の分析、研究会の開催:情報交換、資料分析・検討、調査・検討の取りまとめを行う予定であった。 しかし、コロナ禍の影響をうけた世界的な交通機関の混乱、ウクライナーロシア戦争の長期化、現地協力者の都合、円安の影響をうけて、ウクライナ周辺の現地調査については大幅な見直しが必要となった。しかし、ウクライナ周辺での調査と現地研究者との情報交換は欠かせないものであるため、調査計画を令和5年に延期して行うこととなった。 その一方で、イギリス・ドイツでの資料収集、20世紀初頭までに刊行された資料集の精査により、フィリペン植民地建設に至る、イギリスのエージェント(コンスタンティノープルにおけるイギリス大使および大使館付き司祭の重要性)、モルダヴィア侯国内での経済計画と植民地との軋轢、移民代表たちの足跡など、大まかであるが非常に大きな手がかりが得られた。特に、イギリス大使が、コンスタンティノープル任期を終えて帰国際に、陸路を選び、わざわざフィリペンに立ち寄った証拠がみつかり、イギリスのフィリペン植民地への関与が、単なる資金援助にとどまらないことが推測できるようになった。 科研メンバーは2回、オンラインによる研究会を開催し、得られたデータの成果をおこなった結果、イギリスのエージェントたち、移民たち、ポーランド貴族、モルダヴィア公の4つのアクターの意図が明らかになったのは大きな前進である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
当初の予定では、令和4年7月までに、事前準備、研究会を開催:資料・情報の交換を行う、イギリス・ドイツで資料収集を行い、令和5年3月までに、ウクライナ周辺諸国での現地調査、調査結果の分析、研究会の開催:情報交換、資料分析・検討、調査・検討の取りまとめを行う予定であった。 しかし、コロナ禍の影響をうけた世界的な交通機関の混乱、ウクライナーロシア戦争の長期化、現地協力者の都合、円安の影響をうけて、ウクライナ周辺の現地調査については大幅な見直しが必要となった。しかし、ウクライナ周辺での調査と現地研究者との情報交換は欠かせないものであるため、調査計画を令和5年夏に延期して行うこととなった。
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今後の研究の推進方策 |
ウクライナ周辺での調査と現地研究者との情報交換は欠かせないものであるため、調査計画を令和5年夏に延期して行うこととなった。特に、イスタンブル(トルコ)、ヤシ、ブラショフ、アイウド、クルージ(ルーマニア)で外交・商業・アカデミック・宗教ネットワークに関わる現地調査は欠かせない。また、モルダヴィア公がフィリペン植民地に介入したことが明らかになったので、その経緯をヤシでの現地調査で明らかにする。 また、ポーランドの貴族ポニャトフスキ研究の第一人者であるリチャード・バターウィック教授(ロンドン大学)とトランシルヴァニア地方での宗教ネットワーク研究の第一人者グレアム・マードック教授(トリニティ・カレッジ・ダブリン)の協力を仰ぐこととなった。
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