研究課題/領域番号 |
21H02210
|
配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
河野 暢明 慶應義塾大学, 政策・メディア研究科(藤沢), 准教授 (90647356)
|
研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
|
キーワード | クモ糸 / バイオインフォマティクス / ゲノム科学 / 非侵襲 |
研究実績の概要 |
クモ糸はその強さが特に注目を集めやすいが、実は物性の多様性にこそ最大の魅力が詰まっている。その多様な物性を実現するためにはクモ糸タンパクを人工合 成することで解決すると考えられていた。ところが最近になってクモ糸はクモ糸タンパクと複数種類のSpiCEと呼ばれる低分子タンパクとの複合材であり、この SpiCEが糸の物性向上を支えている証拠が見出された。そこで本課題ではこれまでに明らかにしてきたクモの全ゲノム・糸タンパク組成情報やマルチオミクス解析 手法を基盤に、各関連因子がクモ糸生合成過程にどう関与しているのかを明らかにすることで、クモ糸合成経路の全容解明を目指す。蜘蛛糸の天然物性を支える 新規物質であるSpiCEは種ごとに10種類程度あり、平均50kDa程度の機能未知タンパクである。全SpiCEが雌成体の糸から発見されており、タンパク量が多いもので 糸全体の5%を占めるものもある。糸腺それぞれでSpiCEの遺伝子発現パターンが異なっていることも確認されている。そこで本課題ではゲノム基盤を整備すべく、祖先型クモとして知られるキムラグモのゲノム解析を行った。さらに今後SpiCEなどクモ糸合成に関与する因子が成長過程でどのようなダイナミクスを示すのかを理解すべく、非侵襲での種同定技術の開発を行なった。クモの絹を用いた非侵襲的な種特定方法の開発では、15種のクモのプロテオミクス分析により90%程度の特定精度を達成した。この技術はDNAバーコーディングを補完し、屋外のクモの巣にも適用可能であることが確認されている。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
祖先型クモの染色体及びミトコンドリアゲノムの決定は達成された。さらにキムラグモの持つ糸遺伝子を同定すべく、キムラグモ専用のクモ糸溶解手法を開発し、世界に先駆けてプロテオーム解析を成功させられた。 加えて、非侵襲での種同定技術の開発にも成功した。種の特定は、生物学、生態学、医学、農業など様々な科学分野で非常に重要である。伝統的な方法は形態学的特徴に依存しているが、分子生物学的アプローチであるDNAバーコーディングが人気を博している。しかし、DNAバーコーディングは昆虫など小動物に対して問題が生じることがある。それは、DNA抽出のために動物の体を損傷しなければならないため、その後の繁殖や実験に影響を及ぼす可能性があるからである。本研究により、動物が生成する生物材料のタンパク質組成を調べることで種を特定する非侵襲的方法を開発した。まず、様々な種の糸に適用可能なユニバーサルな糸溶解方法を確立した。15種のクモの糸のプロテオミクス分析を通じて、絹タンパク質中のペプチド配列を分析しクモの種を特定するバイオインフォマティクスパイプラインが構築され、90%程度の特定精度が達成された。本研究で得られたこの非侵襲的アプローチは、特に実施が困難な場合(例えばクモを食べる寄生蜂を研究する場合など)にDNAバーコーディングを補完することができる。さらに、蚕の蛹、シロアリの消化酵素、ダニの唾液など他の生物が放出する生物物質にも適用可能であり、種の特定と害虫駆除の努力に役立つと考えられる。
|
今後の研究の推進方策 |
当初計画ではクモ糸遺伝子及び関連因子の情報を整備するという「生物から『材料』を学ぶ」ことに注力してきた。予定以上の進捗でデータが整い、その結果『クモは糸遺伝子のレパートリーを変えるより、糸に練り込むタンパク質の比率で糸の物性・用途を使い分けている』という、以前は考えられなかった視点の仮説に辿り着いた。この発見はクモ糸物性を理解するための新しい道を切り開くものであり、次世代の素材科学においてもその重要性は計り知れない。新たな知見は研究の進展として大変意義深いが、同時に新たな研究の展開が必要になる。関連因子の発現変動や糸内組成がどの程度糸物性や造網行動に影響を与えるのか、という『戦略』を学ぶための研究計画の練り直しが不可欠となってきた。
データ整備を主軸にした当初計画の目的は果たされた。そのため今後の研究推進方策としては、糸に含まれる関連タンパク質の組成が本当に物性や造網行動に与える影響を定量的に把握するため「非侵襲の種同定法」や「網構造の三次元データ化」といった本研究で開発予定の要素技術は不可欠であると考える。この研究は将来的にタンパク質素材の自在設計ルール整備、新奇バイオマテリアルの設計・合成、さらには節足動物の糸材を介した進化・適応戦略理解といったバイオマテリアル研究の方向性を大きく変革・転換させる潜在性が期待される。また網構造の三次元比較や非侵襲の種同定技術の開発は生物学、生態学、分子生物学など幅広い分野においても新しい知見をもたらすものと考えており、社会全体にとっての価値が高いと確信している。
|