研究課題/領域番号 |
22H00732
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 公益財団法人中近東文化センター |
研究代表者 |
松村 公仁 公益財団法人中近東文化センター, アナトリア考古学研究所, 研究員(移行) (60370194)
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研究分担者 |
山本 孟 山口大学, 教育学部, 講師 (90793381)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | ビュクリュカレ遺跡 / 紀元前2千年紀 / ヒッタイト時代 / カールム時代 / 後期青銅器時代 / アナトリア / メソポタミア / フリ語 |
研究実績の概要 |
2022年度の発掘調査の目的は、一つが鉄器時代城壁外側の堆積土を発掘し土中に含まれるヒッタイト時代の遺物を収集することであり、もう一つが鉄器時代城壁内側の破壊されずに残ったヒッタイト時代層を調査することであった。 城壁外側の発掘では大量のヒッタイト時代遺物が出土し、多くの印影とともに楔形文字粘土板文書小片が5点出土した。1点は解読不能であったが、2点がヒッタイト語で、もう2点はフリ語であり、これまでビュクリュカレ遺跡で発見された粘土板14点のうちフリ語粘土板片は6点となった。 ヒッタイト帝国内でフリ語粘土板が出土している都市はボアズキョイ(ハットゥーシャ)、オルタキョイ(シャピヌワ)、そしてカヤルプナル(サムッハ)のみであり、これらの3都市はすべてヒッタイト王家が居住した都市として知られている。ビュクリュカレ遺跡出土のフリ語粘土板はすべて宗教儀礼文書であることがわかっているが、こうした文書はヒッタイト王/王妃によって執り行われたフリ宗教儀礼の際に用いられたとされ、ビュクリュカレ遺跡にヒッタイト王/王妃が居住、あるいは滞在し、フリ宗教儀礼を執り行ったことを示唆している。 また2022年度に出土した粘土板は、ロンドン大学マーク・ウィーデン博士の研究によりその字体と様式からヒッタイトで見つかった最古のフリ語粘土板文書片の一つである可能性が高い。このことは、ビュクリュカレ遺跡ではヒッタイトでフリ語文書の出土する3つの時期すべてでフリ語粘土板が出土しており、首都ハットゥーシャと同調してフリの影響を受けていたことを示している。 城壁内の発掘調査では、床面上から紀元前15世紀前後の印章が出土した建築遺構の調査を継続している。この遺構はトゥドゥハリヤI世がフリの王女と結婚することで、ヒッタイトがフリの影響を受けた時期に相当し、出土したフリ語粘土板文書と関連する建物と考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
当初の計画以上に進展しており、その理由は、小片ではあるがフリ語の楔形文字粘土板文書片が出土したことが大きい。フリ語粘土板文書はヒッタイト王宮所在地として知られる3都市ハットゥーシャ、シャピヌワ、サムッハのみで出土しており、なおかつビュクリュカレで出土したフリ宗教儀礼文書は、ヒッタイト王/王妃によって執り行われた儀礼で用いられたものとされ、それらのビュクリュカレでの出土はこの都市でヒッタイト王/王妃が儀礼を行ったことを示すものであり、この都市とヒッタイト王家とのつながりの深さを強く裏付けるものである。さらに出土した粘土板の解読、研究により2022年出土したフリ語粘土板片がヒッタイトで出土する最古のフリ語文書の一つである可能性が高く、2019年、2021年に出土したフリ語文書も加えると、ヒッタイトでフリ語文書の出土する3つの時期、すなわちトゥドゥハリヤI世、トゥドゥハリヤII/III世、ハットゥーシリIII世の治政下のすべての時期のフリ語粘土板文書がビュクリュカレから出土したことになる。このことはこの古代都市がヒッタイト王家ときわめて深い結びつきを持っており、首都ハットゥーシャと同調してフリ文化の影響を受けていたことを示しているといえる。 このように今年度調査の結果、ビュクリュカレ遺跡がヒッタイトの首都と同調してフリの影響を示していることが新たに理解できたが、これはビュクリュカレにかつて存在した古代都市のきわめて大きな、そして重要な特徴としてとらえられる。
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今後の研究の推進方策 |
2022年度の調査で5点の粘土板文書片が出土したことから、調査の目的とその目的に対する調査方法が正しいことが示された。それゆえ今後の調査においても同じ方法で調査研究を継続していく。 発掘調査の目的は2点である。一つが鉄器時代城壁外側の堆積土を発掘し、土中に含まれるヒッタイト時代の遺物を収集することであり、もう一つが鉄器時代城壁内側の破壊されずに残ったヒッタイト時代層を調査することである。 城壁内のヒッタイト層の発掘調査では、発掘中の建物の床面上から紀元前15世紀前後に年代付けられる印章が出土した。この時期はトゥドゥハリヤI世がフリの王女と結婚することで、ヒッタイトがフリの影響を持つ時期に相当する。この建築遺構は3度同じ構造で改築が行われており、それを一つずつ細心の注意をもって発掘していく。さらにその下には少なくとも4つの建築遺構が存在していることが確認されている。それらを順番に調査していく予定である。この時期の建築層の発掘調査が進展することで、ビュクリュカレにあった古代都市に関してさらなる見識を得られると期待している。 城壁外側の発掘では、さらなる粘土板文書、印影の収集を目的とする。昨年までの発掘調査で、城壁外側の埋め立ては大きく2段階に分けて行われたことが理解された。さらにほとんどの粘土板は古い段階の埋め土の中から出土することも理解された。この古い段階の埋め土の発掘によってより多くの粘土板文書を収集し、その解読研究を通してヒッタイト王家と強い結びつきを示しているだけにとどまらず、このような強いフリの影響を示す都市とはいったいどんな都市であったのかを解明していく。
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