研究課題/領域番号 |
23KJ0658
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
荻野 美櫻子 東京大学, 人文社会系研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2023-04-25 – 2026-03-31
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キーワード | キリスト教 / イスラーム / 教父思想 / ダマスコスのヨアンネス |
研究実績の概要 |
2023年度は、ダマスコスのヨアンネスの著作から彼が有していたイスラーム観ならびに「異端」観を抽出し、その分析を行った。まず『知識の泉』第2部「異端について」に関しては、100/101章でのイスラームに関する記述とともに「異端について」全体を通した「異端」の枠組みを分析した。そして、ヨアンネスにとって「異端」とは「正統」に対置されるものであるが、必ずしも今日我々が想起するキリスト教異端と合致する枠組みではないことを明らかにした。彼は異民族や偶像崇拝といった集団をも包摂する広い「異端」の枠組みの中に当時のイスラームを組み入れた一方、特定の「誤った」ドグマを持つ集団という狭い意味での「異端」的要素をもイスラームに見出したと考えられる。したがって先行研究で散見されるような「ヨアンネスはイスラームをキリスト教異端と見なした」という言説には留保が必要である。この研究成果を8月末の東方キリスト教学会大会で発表、さらに同学会誌『エイコーン』に論文を投稿し、受理された。 秋以降は『サラセン人とキリスト教徒との論争』(以下、『論争』)の読解にも着手し、神学論争の相手として当時のイスラームがどのように描かれているのかを分析している。作成中の日本語訳に基づき、10月に開催された上智史学会例会にてテキストの内容紹介を行った。3月には第180回教父研究会例会で特に自由意志論を巡る議論についての研究報告を行い、教父学やキリスト教神学、また特に哲学を専門とする研究者らと議論した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
『論争』は概説的な紹介を旨とする「異端について」100/101章よりも神学論争に重点を置いたテキストとなっているが、これを分析するためには前提となる神学的・哲学的概念を十分に理解せねばならない。そのため、ヨアンネスがこれらについて体系的にまとめた 『知識の泉』第3部「正統信仰論」を先に読むことにした。ただし「正統信仰論」は浩瀚な書物であり、現在の課題と直接的に関連する箇所のみを抽出したとしても膨大な量になる。『論争』のさらなる分析はそちらを読んでからになるため、現在は途中で休止している状態である。また、当初の計画ではエルサレムのソフロニオスらヨアンネスに先行するキリスト教思想家のイスラームに対する反応が表れているテキストを読むつもりであったが、こちらまで手を回すことはできなかった。その点からすると、進捗は遅れ気味であると言わざるを得ない。 しかしながら「正統信仰論」はヨアンネスの思想の核を成すテキストであり、現段階でこれを分析することは今後の研究の基礎形成に繋がる。 以上の理由から、総合的に見て現在の進捗状況はやや遅れていると評価した。
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今後の研究の推進方策 |
まず、様々な点に鑑みて『論争』をヨアンネスに帰すのは従来指摘されてきた以上に難しいと考えるに至ったため、史料の扱い方を再検討する必要がある。一方「正統信仰論」はイスラームに明示的に言及しないものの、自由意志論などの議論に際してイスラームが念頭にある可能性も指摘されている。したがって、「正統信仰論」から間接的にヨアンネスのイスラーム観を読み取ることも不可能ではないだろう。 以上を踏まえたうえで、2024年度は現在やり残している課題を進めると同時に、テキストを神学的・歴史的な文脈の中に置く作業を進めていく必要がある。具体的には以下の3点である。 第一に、7世紀から9世紀前半にかけてヨアンネス以外のキリスト教著述家らがイスラームについてどのように言及しているのかを網羅的に把握し、ヨアンネスの記述と比較する。特に9世紀前半に入るとイスラームと実際に論争を行った記録が残るようになるため、ヨアンネスのイスラーム観がより実践的な議論の場でどのように受容・変化していったのかを見ることができると考えられる。 第二に、テキスト引用の文脈整理である。特に「異端について」は4世紀のサラミスのエピファニオス『パナリオン』に依拠しているが、異端史の歴史叙述の形式や、4世紀に作られた枠組みをなぜ8世紀に採用したのか、そこに4世紀時点との差異はあるのかを探る必要がある。 第三に、イスラームと他の異端、特にマニ教との関係の分析である。「正統信仰論」での自由意志論は教父がマニ教と論争した著作からの引用が多く、その色彩は『論争』での議論にも表れている。しかし、当時のマニ教の存在感をどの程度見積もるかは研究者によって見解が分かれる。それ故、『マニ教駁論』なども読みながら、ヨアンネスの中でマニ教とイスラームがそれぞれどの程度の存在感を持って認識されていたのか、両者をどのように関係づけたのかを分析せねばならない。
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次年度使用額が生じた理由 |
購入を予定していた何点かの物品や書籍について、品切れ状態が続いていたり、出版延期になってしまったりと、入手不可能な状況に陥ってしまった。当該助成金は翌年度分と合わせて書籍や機材の購入に充てたい。
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