【1】「世界の終わり―文天祥「山河破砕」句をめぐって―」(『待兼山論叢』(57)、p.43-59、2024年3月) 2023年1月に『日本中国学会報』に投稿した論文の査読意見をもとに、論文の改訂を行なった。要旨は次のとおりである。 文天祥「過零丁洋」に「山河破碎風抛絮(山河破碎して風は絮を抛つ)」とある。これは祥興二年(一二七九)正月、南宋の滅亡を目前にして、戦乱によって国土が破壊し尽くされた様子を表現したものである。文天祥は南宋滅亡前後の詩において、このようないわば世界の終わりを繰り返し表現している。従来、山河や天地は人間の手による戦乱の影響を受けずに、安定してそこにあるものとみなされていたはずである。杜甫「春望」にも「国破れて山河あり」とあって、山河の不変性がうたわれている。では、文天祥の表現は、どのように形成され、何を意味しているのだろうか。本稿では、世界の終わりをうたった文学について、唐の杜甫や、北宋末から南宋初期の動乱期を生きた陳与義、陸游の文学を取り上げながら、文天祥の表現がいかなる特徴を有しているのかを明らかにした。 【2】(翻訳)「文天祥詩選」(『翻訳文学紀行5』、ことばのたび社、2023年10月) 文天祥詩のうち、南宋滅亡後に囚われの身となった頃の詩を取り上げ、現代日本語訳と解説を執筆した。取り上げた詩は以下の十九篇(文天祥「六歌」其一、三、四、六/「己卯十月一日至燕越五日……有感而賦十七首」其一、二、三、四、五、六、八、九、十、十六/「元夕二首」其一/「覧鏡見鬚髯消落爲之流涕」/「自嘆三首」其一、二/「有感」)である。また、『翻訳文学紀行』の刊行記念イベント(2024年1月28日、滴塾石橋コモンズ)においては、文天祥が杜甫の詩を集めて作った『集杜詩』に倣い、当日の参加者約15名と「集句」のワークショップを行なった。
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