本研究の目的はマウス精子形成において「潜在的幹細胞」の機能を支える分子機構を解明することである。「潜在的幹細胞」は定常状態では自己複製せずに分化するが組織傷害後の再生プロセスでは自己複製の潜在能力を発揮し幹細胞へと脱分化する。このように、組織再生の重要なプレーヤーであるにも関わらず「潜在的幹細胞」の性質を決める分子メカニズムは謎に包まれていた。 25年度までに定常状態で幹細胞として機能するGFRα1陽性細胞と、潜在的幹細胞の性質を持つNgn3陽性精原細胞の細胞分化を誘導するレチノイン酸(RA)シグナルに対する異なる反応性を明らかにしていた。すなわち、後者(Ngn3陽性細胞)が幹細胞としての潜在能力をほぼ不可逆的に失ってKit陽性細胞に分化する一方で、前者(GFRα1陽性細胞)は未分化状態を保つ。この反応性の違いこそ「潜在的幹細胞」の自己複製能を「潜在化」し分化方向に偏らせている実態であると考えられる。 26年度はこのRA反応性の違いを生む分子機構を解明した。まず、Ngn3陽性細胞に特異的に発現する(GFRα1陽性細胞には発現しない)遺伝子の網羅的解析から、RA受容体の1つRargを見出した。遺伝子改変マウスを開発してRargをGFRα1陽性細胞に異所的に発現させたところ、本来分化しないGFRα1陽性細胞がRAに対する反応性を獲得してKit陽性へと分化することがわかった。 以上の結果から「潜在的幹細胞」は「可逆的に幹細胞に戻る能力を維持した分化細胞」という従来の考え方と共に、「細胞外からの分化誘導シグナルに反応する性質を獲得した幹細胞」という捉え方が浮上した。さらに、本質的にはただ1つの遺伝子の発現(分化シグナルの受容体)の有無によってRA反応性が獲得されるという極めてシンプルな分子メカニズムが明らかとなった。いずれも幹細胞システム一般の理解に重要な貢献と考える。
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