研究課題/領域番号 |
24320078
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研究種目 |
基盤研究(B)
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
岸田 文隆 大阪大学, 言語文化研究科, 教授 (30251870)
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研究分担者 |
小西 敏夫 大阪大学, 言語文化研究科, 准教授 (20289359)
酒井 裕美 大阪大学, 言語文化研究科, 講師 (80547563)
朴 真完 京都産業大学, 文化学部, 准教授 (90441203)
許 秀美 大谷大学, 文学部, 助教 (50612826)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 対馬宗家文書 / ハングル書簡 / 易地行聘 / 朝鮮語通詞 / 倭学訳官 / 朝鮮語史 |
研究概要 |
江戸期日朝間に往復した朝鮮語ハングル書簡は、従来長正統氏によって紹介された8通のみが学界に知られていたが、2009年に対馬宗家文庫の一紙物の目録が上梓されるにおよび、90通余りの新たな書簡類の存在が明らかとなった。これらの大半は、1811年の通信使易地行聘の交渉において、朝鮮側の倭学訳官らが小田幾五郎等の日本側の朝鮮語通詞に送った書簡類で、外交の舞台裏を如実に伝えるとともに、当時日朝間で如何なることばがやりとりされていたかを具体的に伝える好個の言語資料である。これら書簡類は、日朝関係史を研究するための新資料としてのみならず、近世朝鮮語の新たな資料として、また、江戸期対馬の朝鮮語学の研究資料として、極めて重要である。 本年度は、これら書簡類のうち、年代の古いものから、全16通の書簡を取り上げ、講読・資料批判をおこなった。2013年2月2日・3日には大阪大学箕面キャンパスにおいて第1回対馬宗家文書ハングル書簡講読検討会を開催し、代表者が作成した解読案につき、科研メンバー全員で討議し、その妥当性について議論・検討した。その結果、資料番号[[1123-146]の書簡について、先行研究ではその発信者を日本の通詞「永野兼一郎」としていたが、実は「永好堂」すなわち朝鮮の倭学訳官「崔伯玉」であること、資料番号[54過-1]の朴士正の書簡について、その中にあらわれる朝鮮語としては解釈不能の語句が実は日本語の「書契の事は」という語句をハングルで表記したものであることなどが判明し、いくつかの重要な発見があった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初の計画では、90通余りのハングル書簡を1年に20通ずつ解読し定本を作成していく予定であったが、関連する歴史記録類(通信使記録など)の参照作業に思いのほか時間がかかり、16通しか定本の確定を行えなかった。
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今後の研究の推進方策 |
夏季休暇等を利用して韓国国史編纂委員会や対馬に長期滞在して歴史記録類の参照作業を集中的に実施することによって、解読および定本の確定作業のスピードアップをはかりたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
3月の韓国への調査旅費として全額使い切る予定であったが、年度末の他の業務との関係で日程の調整がつかず、当初の計画より短期間の調査旅行となったため残金が生じた。次年度には、次年度の研究費と合わせて、韓国への調査旅費として使用する計画である。
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