研究課題/領域番号 |
24320126
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研究種目 |
基盤研究(B)
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
矢田 俊文 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (40200521)
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研究分担者 |
谷口 央 首都大学東京, 人文科学研究科(研究院), 准教授 (90526435)
浅倉 有子 上越教育大学, 学校教育研究科, 教授 (70167881)
原 直史 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (70270931)
小野 映介 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (90432228)
堀 健彦 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (80313493)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 近世史 / 中世史 / 地震 / 津波 / 地形 / 1707年 / 宝永地震 / 家屋倒壊率 |
研究概要 |
24年度の成果は、以下の2点である。 1.宝永4年(1707)10月4日に南海トラフ周辺で起った宝永地震による大坂の被害数を確実な史料のみを用いて論じている論文はほとんどないため、さまざまな幕府への被害報告の文書を検討することにより、宝永地震による大坂三郷の被害数を確定した。それによって得られた結論は次のようなものである。宝永地震の大坂三郷の被害報告の写は、「朝林」「鸚鵡籠中記」「塩尻 巻二十四」「楽只堂年録 第二0八巻~第二一0」に掲載されているが、それらのうちもっとも被害数全体を示していると思われる史料は尾張藩士堀貞儀が記した「朝林」所載の被害報告書である。 しかし「朝林」所載の被害報告書も10月10日までの報告書でありその後も被害数が増えると考えると、宝永地震による大坂三郷の被害は、竃数3,537、軒数653軒、圧死者5,351人、溺死人16,371人以上とするのが正確な理解である。 2.伊勢平野における沖積層の堆積過程を解明するとともに,安濃津の位置や明応東海地震に伴う津波の解明を目的として、伊勢平野の田中川から志登茂川間の海岸平野の地形・地質調査を実施し、その結果、同地域の浅層堆積物は3つのユニットに大別できた。 ユニットIは、このユニットの砂礫層内木片の放射性炭素年代は3120yrBPの値を示し、砂堆II関連する砂州の形成がこれ以降に開始したと考えられる。 ユニットIIは、少なくとも2640yrBP~2260yrBPの間、堤間湿地は地形変化がほとんどない安定した地形環境であったと推定される。 ユニットIIIは、下位のユニット1の最新の年代から古墳時代以降に形成された堆積物と考えられる。今回の調査によって海岸平野を構成する浜堤列の大まかな発達過程が明らかになった。また、浅層部からは津波堆積物と見られる幾つかの層準も検出された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
計画どおり東海地方の家屋倒壊数がわかる史料の調査を行い、東海地方から九州までの1707年宝永地震の被害がわかる「楽只堂年録」を原本に基づきテキストデータ化を終え、「楽只堂年録」を活用して史料の分析する際の有効性と限界を確認することができた。さらに、伊勢平野を中心に地震被害地の特質を検討することができた。 さらに「楽只堂年録」等の検討を通じて、従来明らかにされていなかった1707年宝永地震における被害数を確定するなど当初の計画とおり研究が進んでいる。
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今後の研究の推進方策 |
1.24年度に原本から翻刻し直しテキストデータにした「楽只堂年録」や1707年宝永地震を中心とした地震史料を原本から翻刻し直し、その中から家屋倒壊数・水死者が掲載されている史料等を抽出し、その地域を集中的に分析する。本年は特に摂津・紀伊・志摩・伊勢・駿河を中心とした地域を検討の対象とする。また24年度の研究により、1707年宝永地震だけではなく、1833年庄内沖地震、1858年飛越地震など、家屋倒壊率・津波到達点を導き出せる史料の存在がわかったので、これらの地震史料についても積極的に検討を行う。
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次年度の研究費の使用計画 |
1.25年度の研究を推進するため、設備備品費としては、歴史地震関連文献と地震史料集等書籍の購入に使用する。消耗品は文具類を購入する。旅費は研究打ち合わせ会、史料調査に使用する。謝金は文書・歴史地震史料翻刻等のために使用する。2.前年度未使用額が生じた点について:24年度は研究対象とする地域と史料の検討に重点を置き、25年度にまとめて調査地での調査と研究対象史料の本格的検討をするほうが研究遂行上効果的であると判断したため、当該研究費が生じた。
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