研究課題/領域番号 |
24320162
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研究機関 | 国立歴史民俗博物館 |
研究代表者 |
林部 均 国立歴史民俗博物館, 大学共同利用機関等の部局等, 教授 (70250371)
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研究分担者 |
仁藤 敦史 国立歴史民俗博物館, 大学共同利用機関等の部局等, 教授 (30218234)
高田 貫太 国立歴史民俗博物館, 大学共同利用機関等の部局等, 准教授 (60379815)
高橋 一樹 武蔵大学, 人文学部, 教授 (80300680)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 地方官衙 / 周辺官衙 / 実務官衙 / 官衙関連遺跡群 / 大宰府 / 国府 / 郡家 / 王宮・王都 |
研究実績の概要 |
本研究では、官衙機構の成立について、王宮や地方官衙のいわゆる中心施設ではなく、それを支えた周辺の官衙や施設の整備状況からの検討することを目的とする。 本年度は、大宰府政庁周辺官衙不丁地区から出土した漆付着土器を分析して、漆を扱うという実務を担う官衙の実態について検討した。その結果、これまで漆の生産地からの運搬容器と考えられていた須恵器壺・平瓶が、大宰府の中での役所ごとでの小分けのための容器であることを明らかにした。おそらく、この官衙での実態は、他の地方官衙や王宮などにも普遍化することができる。実務を担う官衙の具体的な機能を考えるうえで重要な成果である。 福岡県福原長者原遺跡では、政庁の周囲をめぐる空閑地と大溝に着目することにより、藤原宮をモデルにしたことを証明した。また、宮城県仙台市の郡山遺跡にも、空閑地と大溝があることから、7世紀末~8世紀前半、列島の北の地域と南の地域において、同じような官衙遺跡が成立してくることを明らかにした。また、福原長者原遺跡は、大宰府政庁Ⅱ期に先行する。8世紀前半に大宰府を凌駕する役所が豊前地域に成立してくることを指摘して、大宰府を中心とした歴史観に疑問を呈した。 宮崎県西都市日向国府跡、福岡県粕屋町阿恵遺跡群、群馬県伊勢崎市三軒家遺跡などにおいて、遺構・遺物の調査をおこなった。国府や郡家は、きわめて多様であり、それぞれの地域の歴史の中に位置づけて、はじめて理解できる。考古学では、その方法論的な特徴から、建物配置などをパターン化して、性格などを考えることが多いが、この方法は、ある段階までは有効ではあるが、官衙遺跡の建物配置や規模、変遷はきわめて多様であり、その限界は明らかである。その多様性にこそ、古代国家の地域支配が反映され、その多様な実態の把握が必要であることをあらためて認識した。
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現在までの達成度 (段落) |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
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今後の研究の推進方策 |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
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次年度使用額が生じた理由 |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
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次年度使用額の使用計画 |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
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