我々はHDAC6が脳内では縫線核セロトニン神経細胞に多く含まれること、この遺伝子欠損マウスにヒトの情動障害と良く似た行動異常を発見した。この背景にあるメカニズムを分子レベルで解明するために脳内のHDAC6分子の基質となるタンパク質分子を検索したところ幾つかの候補分子の中からPDC1(ピルビン酸脱水素酵素複合体分子1)を見出し、HDAC6欠損ではこの分子の働きが不全であるために行動異常が誘発されると予想した。実際にHDAC6遺伝子欠損マウスの脳では特に背側縫線核においてピルビン酸が蓄積しており、HDAC6分子の発現が著しく低下した神経培養細胞ではATPの減少も観察した。HDAC6分子によるPDC1分子の機能制御については現在も解析中であるが、本研究からHDAC6遺伝子欠損マウスの脳ではミトコンドリアのエネルギー代謝異常が起きていることを見出した。 また、このマウスの脳における異常を調べるために脳内のモノアミン量や受容体量、トランスポーター量、モノアミン合成酵素量を通常のマウスと比較した結果、セロトニン神経細胞の投射先である黒質や腹側被蓋野ではセロトニン量の減少、さらにそれらの投射先である前頭前野と側坐核でドーパミン量の減少を観察した。またこのマウスの薬物に対する反応を様々な行動学的方法に基づいて調べたところ、通常のマウスと比べて明らかに異なる反応を示しドーパミン神経系の異常を見出した。 以上のことから、HDAC6が欠損するとセロトニン神経細胞でPDC1機能異常によるエネルギー代謝の異常が起こりセロトニン神経伝達が不全となり、さらにはその投射先のドーパミン神経系にも影響を及ぼし行動異常を誘発したと考えられた。これらの成果はHDAC6が情動障害の症状形成に深く関わっていることを示すと同時に、その脱アセチル化活性制御が新規治療戦略のターゲットとなることを意味している。
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