最終年度に実施した研究成果としては、西欧の身体教育と三育主義を検討するために、同時期の身体教育(physical education)に関する文献として、チャールズ・コールドウェルの『身体教育の思想』(1836年)が単行本としての身体教育の初出としてその所在をつきとめた。同書は、1834年のアメリカ・ボストン版も存在し、著者のコールドウェルが、医者としての立場から民衆学校の教師たちに講演した内容を記録したものであった。本研究では、睡眠、栄養、衣服と身体の健康に関する諸留意点を述べていた。マルク・アントワーヌ・ジュリアンの『身体教育、道徳教育、知的教育に関する教育論』(1808年)まで遡及して資料調査を行った。この書は、フランス語で書かれた資料であるが、英語圏として、西欧近代三育主義教育を標榜する資料として、ウイリアム・ニューナムの『身体教育、知的教育、道徳教育および宗教教育』(1827年)が三育主義の初期資料であることが明らかになった。 西欧の身体教育は教育思想家ペスタロッチーの影響を受けていた。エドアルト・ビーバーの書『ペスタロッチーと彼の教育計画』(1826年)は民衆の学校における教科としての体操の内容と意義を綴っており、同時期にロンドンで体操指導していたカール・フェルカーにも言及していた。その後、カールフェルカーの体操指導の痕跡は、ジェームス・チオッソの『身体教育の提言』(1844年)にも言及されていた。サムエル・スマイルズの『身体教育』(1838年)は、英語圏の初期文献に一端に位置づけられるが、スマイルズの『自助論(セルフ・ヘルプ)』(1870年代)の記述には初期の身体教育に関する内容が確認され、日本の明治初期の教育思想にも影響を与え、三育主義教育の一端を担っていた。その痕跡は『學藝士林』所収のオスワルド著・大野訳「軆操術ノ世代」(明治12年)に記述されていた。
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