平成26年度は主として、1940年代後半から60年代にかけての高知新聞記事に見られる運動会について資料収集と分析を行った。本研究においてすでに明らかにしてきたように、「昭和の大合併」を経て1950年代に各地で市町村民運動会が開始されたが、それ以前から高知県内では学校主催の運動会だけでなく、さまざまな形態の運動会が開催されていた。 例えば、室戸町(現室戸市)で漁業組合や警察、電気局、工場、商店が合同で運動会を開いた記事が、終戦後間もない1945年12月2日の新聞に掲載されている。また、佐川町では青年団が同月に運動会を開催した。1946年になると、学校の運動会が再開され、地区運動会の記事も見られるようになる。それらの中には、「復活」と冠された運動会もあり、記事からは戦後復興期に人々が運動会の再開を心待ちにしていたことがうかがわれる。地区運動会は、戦前から高知県の地域文化として地域に根付いており、人々に親しまれていた。その機能が知られていたからこそ、「昭和の大合併」を経て新しい自治体が誕生し、その住民たちの親和性を高めることを目的に、新しい市町村民運動会が誕生したのである。 高知市では、1948年に「市民大運動会」が文化祭の一事業として開催され、以後、毎年の恒例行事となった。各校区でも運動会が行われるが、もめ事が多く、ある校区では1960年代になって大きなけんかが発生し、その後数年間運動会を中止したこともあったという。 3年間の研究成果は、平成27年3月に韓国ソウル市の中央大学校で開催された日本スポーツ産業学会スポーツ産業史専門分科会の韓・日スポーツ研究者交流研究発表会において、「1950・60年代の高知県における市町村民運動会の社会的機能」というテーマで発表した。
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