本研究では、設立後4~5年間ですべて廃校になったため、これまで体育史上注目されてこなかった明治初期における地方の官立師範学校の体操・遊戯指導および実践の実態を明らかにした。地域により差異はあるものの、①明治天皇巡幸時の天覧体操を目的として官立師範学校の教師が体操指導を行ったこと、②官立師範学校の中庭に鞦韆、鉄棒などの体操器械が設置されていたこと、③官立師範学校卒業生によって体操テキストが刊行され、学校における体操実施が奨励されていたこと、などが明らかになった。また、官立師範学校の廃止後は、県立の師範学校へ速やかに師範教育が移管され、体操の啓発も継承されていったと考えられる。
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