「ケアの社会化」政策は、ケア関係を異性愛関係としての家族から引き離す政策であったといえる。しかし、強制的異性愛主義に大きな変化が見られない以上、異性愛関係にないケアラーは、そのケア行為とケア関係を逸脱的な異性愛の関係と見なされる危険性がある。非家族ケアラーが、強制的異性愛主義体制からのサンクションを回避するための方略は2つある。1つは、問題となるケア関係を疑似異性愛関係として偽装する方略である。もう1つは、ケア関係を親密性の文脈から引き離し、道具的な関係として定義し直すことを試みるという方略である。身体を非人格的な物体とみなすことで異性愛イデオロギーを無効化するのである。 これら2つの方略は、相異なるジェンダー関係を持っている。第1の方略は異性愛家族を模倣・再演する形で展開されるが、模倣に失敗する可能性がある。ケアの相互作用のなかでの失敗(の可能性)は、未然に回避されたり修復されたりしており、ケア自体が異性愛体制の枠組みから決定的に逸脱しないように注意深く監視されている。それは異性愛主義的ジェンダー関係を再生産することにもつながる。 第2の方略は医療領域において採られているものでもある。ケアを道具的合理性の観点から解釈し人格的な関係としての異性愛主義から離脱する。この方略はケア職の専門職化の文脈で語られることが多いが、ケアを受ける側がこの文脈を共有しない場合には機能しない。また第2の方略は、第1の方略に比べてジェンダー中立的に見えるであるが、別の次元でのジェンダー性を含んでいる。脱人格的専門職方略はケア行為が道具的関係になり、ケアの対象者が客体化される。こうしたケアの〈労働〉化は労働概念自体が男性性と結びついているという点を考え合わせると、専門職方略の男性性という問題を抱えている。
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