研究課題/領域番号 |
24520018
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研究機関 | 愛媛大学 |
研究代表者 |
寿 卓三 愛媛大学, 教育学部, 教授 (30186712)
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研究分担者 |
森 秀樹 兵庫教育大学, 学校教育研究科(研究院), 教授 (00274027)
上利 博規 静岡大学, 人文社会科学部, 教授 (20222523)
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キーワード | 死と言葉 / 他者の肯定 / 死が〈ある〉 / 死を〈与える〉 |
研究概要 |
主として寿は、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』における「卑怯者のまま生きることが不可能なだけじゃなく、卑怯者のまま死ぬことも不可能だ」というドミートリーの謎めいた叫びの解明を行った。まず、この謎めいた叫びへの応答として、4つの文学作品を読み解くことで、市民社会の現実が生み出す絶望的状況のなかにあって我々がみずからのかけがえのなさを見いだすためには、他者からの承認ということ以上に、自分の方で他者の存在を絶対的に肯定することが不可欠だという回答を見いだした。さらに、アガンベン『言葉と死』の考察によって、文学作品の解読を通して得られた回答が、否定性と開けとの相即的関係として原理的に解明しうることを明らかにした。さらに、Nobert Bolz "Das Gestell"の考察を通して、親密圏において確認しうる否定性と開けとの蜜月的関係を公共圏、グローバルな圏域においても語りうる可能性を解明した。 森は、「死が〈ある〉」という事態を死の概念史に考察を通して明らかにするために、生物学の観点における死という現象の把握、人間にとって死が抜き差しならない事態として理解される経緯、キリスト教における死の把握、そして近代以降における死の受容のあり方を考察した。上利は、デリダによる死の考察をハイデガーとレヴィナスと関連づけて考察し、「私のうちに他者には見えない証人を持つ」という視点から死という現象の考察を深化させている。 「誠実でなければ死ぬことも生きることもできない」という主張を、人間固有の事態としての「死」と「言葉」という観点から考察を深化させることで、児童、生徒たちにとって「生命尊重」ということを自分の問題として考える可能性を切り拓くことができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、「生物学的死biological death」と「パーソンの死」との区別如何を問題にするアングロ-サクソン系哲学における死の考察と実存主義の死の哲学とを架橋し、「生の内なる死death in life」という事象の現象学的考察によって、人-間的共生の地平を切り拓くことを目指している。「誠実でなければ死ぬことも生きることもできない」という主張を、人間固有の事態としての「死と言葉」という観点から考察を深化させることで、「自己の本来性」とは、単に「私」の独自性を開示することによって切り拓かれるのではなく、「他者のかけがえのなさ」が「私」の独自性の契機となることに不可欠であることを解明した。この解明によって、児童、生徒たちにとって「生命尊重」ということを自分の問題として考える可能性を切り拓くことにつながると考えている。
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今後の研究の推進方策 |
前年度までの二年間において、①「生の内なる死death in life」という事象に関するパーソン論および現象学等の文献研究、②ドイツやフランスにおける死への対峙をめぐる現実の考察、③教育現場での死の考察と生命尊重とのつながりの考察を展開してきた。 最終年度になる今年度は、これまでの研究成果を、「他者なしには私は救われない」というテーマを通時的且共時的な共生の地平の成立条件という視点から整理すると同時に、学校現場への適用方途を探りたい。 報告書を作成する際には、3人の研究を教育現場の協力者とも共有し、その総決算となるよう配慮する。
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次年度の研究費の使用計画 |
急病のため沖縄出張を中止せざるをえなかったため。 物品、旅費、人件費、報告書の作成。
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