研究課題/領域番号 |
24520023
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 奈良県立医科大学 |
研究代表者 |
池辺 寧 奈良県立医科大学, 医学部, 講師 (00290437)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | ハイデガー / 聴くこと / 相互共同存在 / エートス / 医学哲学 |
研究概要 |
従来のハイデガー研究では、聴くことを主題にした研究はあまり見あたらないが、ハイデガーは随所において、聴くことを軸にして自らの哲学を展開している。本研究課題の目的はハイデガー哲学を医学哲学に応用することにあるが、聴くことは医療者-患者関係を考えるうえで重要な要素である。研究初年度である24年度は、ハイデガーの所論を手がかりにして聴くことの問題に取り組んだ。 聴くことには、自然に聞こえることと傾聴的に聴くことの二つの様態がある。ハイデガーが重視するのはむろん、後者である。彼によれば、傾聴的に聴くことは耳を用いて行われるが、耳という聴覚器官の作用が聴くことをもたらすのではない。傾聴とは、人間が世界のうちで出会われるものに根源的に開かれている態度のことである。もっとも、ハイデガーも傾聴における耳の働きを看過しているわけではない。彼にとって聴くこととは耳を通じて、さらには身体全体を通じて他者と対話したり様々な事物と関わったりする「身体を生きることの仕方」にほかならない。 ハイデガーに即して聴くことを考えようとすれば、良心の呼び声を聴くことや、存在への聴従帰属などを取り上げるのが通例であろう。だが、本研究ではむしろ、他者の話を聴くことに焦点を当て、以下の点を明らかにした。まず、他者に対して開かれ、聴くことが可能でないならば、現存在(人間存在)は他者との共同存在とはいえない。聴くことは、現存在が他者との共同存在であることの真の核心である。次に、ハイデガーは相互に語り合うことに相互共同存在の特性を見出しているが、お互いに聴くことができることから対話は生まれるゆえ、聴くことは相互に語り合うことの前提に位置づけられる現存在の態度である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
24年度に取り組んだ主題はハイデガーにおける聴くことの問題である。この主題は、交付申請書では25年度の研究実施計画として挙げていた二つの主題のうちの一つである。交付申請書では24年度の研究実施計画として、ハイデガーにおける行為概念やエートス概念の検討を挙げていた。行為概念については、単独で取り上げるよりも、本研究を進めていくうえで絶えず念頭に置き、検討すべき事柄であると思われたので、24年度に主題的に取り上げることはしなかった。一方、エートス概念については、助成金交付を受ける直前にすでにこのテーマに取り組み、「ハイデガーの根源的倫理学-人間の本質としてのエートス-」と題した論文を公表している(『奈良県立医科大学医学部看護学科紀要』第8号、2012年3月)。当初はこの研究をさらに深めていく予定であったが、この論文で公表した内容で十分と思われたこと、および、25年度の研究実施計画として二つの主題を挙げていたが、そのうちの一つを前倒しにして24年度に取り組んだほうが本研究課題の目的を達成するうえで望ましいと思われたこと、この二つの理由からエートス概念についても24年度に主題的に取り上げることはしなかった。 24年度は、当初は25年度の研究実施計画として挙げていた主題のうちの一つに取り組んだが、24年度の研究実施計画として挙げていた行為概念の検討については25年度以降も継続的に取り組む必要があることから、「おおむね順調に進展している」と自己評価した次第である。
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今後の研究の推進方策 |
本研究課題の目的は、ハイデガーが提示した人間の本質や行為の本質を、医学の本質を問う医学哲学の構築へと応用することを試みることにある。そして、この試みを通じて、ハイデガーによる存在の思索が人間の生存に密接に関わっていることを明らかにすることにある。この研究課題を遂行するうえで、取り上げたい主題の一つに技術の問題がある。ハイデガーによれば、現代技術のもつ危険性は存在そのものの歴史的運命であるゆえ、人間の行為によって克服されるものではない。しかし、技術の本質は人間の助けを借りることなしには、その歴史的運命を変えることもできない。ハイデガーはそのように考え、独自の技術論を展開している。ハイデガーの技術論は通常、今日の科学技術の問題点を自然との関連で考える文脈で論じられることが多い。それに対して本研究では、人間に直接に働きかける技術である医療技術を基礎づける技術論という観点から取り上げる。この観点からハイデガーの技術論を論じるにあたり、技術と交差させて考えたいのは、身体と健康の問題である。身体、健康のいずれも、ハイデガーは自らの哲学の主題とすることはなかった。ただ身体については、『ツォリコーン・ゼミナール』などにおいていくらか語っている。そこで同書の内容を敷衍させることによって、医療と身体の問題を考えていきたい。健康についてはハイデガーは何も語っていないが、彼が行った人間存在の分析に、健康とは何かを考える手がかりを見出したい。その際、ハイデガーの論述を補強するため、ガダマーの所論や物語倫理などを参照する。
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次年度の研究費の使用計画 |
24年度に交付を受けた助成金は、主に図書の購入(物品費)と旅費に充当した。旅費はほぼ申請通りの金額を使用したが、物品費は購入を予定していた新刊図書のうち、刊行が遅れたため24年度内に購入できなかった図書が数万円程度あったこともあり、10万円余りを次年度に繰り越すことになった。だが、研究そのものはおおむね順調に進んでいる。研究費もほぼ計画通りに使用している。 25年度も、研究費は主に図書の購入(物品費)と旅費に充当する予定である。購入を予定している図書は主に「ハイデガー哲学関係図書」と「医学哲学・医療倫理学関係図書」に大別できる。その他にも、現象学・解釈学、ギリシア哲学、看護哲学・看護倫理学などに関連する図書も必要に応じて購入する。研究目的に関連する新刊図書も随時購入する予定であるため、年度当初に詳細に購入予定図書を挙げることは困難であるが、購入を予定している25年度中に刊行される見込みの図書として、The Heidegger Concordance(25年7月刊行予定、約6万円)、The Bloomsbury Companion to Heidegger(25年8月刊行予定、約2万円)などがある。
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