ハイデガーは技術の本質を問うことで、技術時代における人間や社会のあり方を論じたが、彼が技術の本質を問うとき、医療技術について論じることはあまりない。しかし、人間の生に深く関わる医療技術を取り上げずに、技術の本質を問うことはできない。そこで26年度は、ハイデガーが医療技術やバイオテクノロジーに関して断片的に述べている箇所を整理し、医療技術の観点からハイデガーの技術論を捉えなおすことを試みた。 医療技術の本来の目的は健康の維持・回復にある。この目的が達成されると、医療技術はいわば消失する。ところが、現代はこの目的を逸脱し、医療技術がピュシスに取って替わり、人間が自己自身を技術的に製作しかねない時代である。自らの身体の限界を超えようとする人間の欲望・需要に応じて医療技術は開発されるが、技術の開発は新たな欲望・需要を生み出し、それに応えて新たな技術がさらに開発される。欲望と技術開発の連鎖は止まるところを知らない。 ハイデガーは現代技術の本質を、すべてのものを役に立つものへと用立てていく点に見出し、ゲシュテル(総かり立て体制)と名づけた。人間もまた、ゲシュテルのなかに組み込まれており、役に立つものへと用立てられている。それどころか、人間は「用立てることの幹部」として、自然エネルギーよりもいっそう根源的に用立てることへと挑発されている。技術時代である現代において、人間はそれぞれ独自の身体を生きることが看過され、取り替え可能な断片や人的資源とみなされている。 医療技術は従来のハイデガー研究ではあまり着目されていない主題であるが、26年度に実施した研究において、ハイデガーは医療技術の今後の動向も考慮していることを明らかにした。医療技術を主題にした研究に取り組むことにより、前年度までに取り組んだ聴くことや痛みの問題と同様、ハイデガー哲学を医学哲学へと応用するための一つの視点を提示した。
|