W. E. エーアハルトによって編集された二つのミュンヘン講義、『哲学入門』(1830年、1989年出版)ならびに『啓示の哲学原草稿』(1831/32年、1992年出版)の読解によって、以前の拙論「シェリングにおける哲学の究極課題としての「自由」」起草段階では、準備不足のため検討できなかった点を取り上げた。二つの講義とも、エーアハルトが「ただ一人のシェリング」という自説を立てる論拠としたものであり、彼が「積極哲学の出発点」とみなす〈存在に先立つ自由〉とは何かを把握するために必要な作業であった。発表論文「シェリングにおける「存在に先立つ自由」では、「積極哲学」の内容確認、『原草稿』における〈存在に先立つ自由〉と初期シェリングの「自由」概念との関係を検討し、エーアハルト説に対して、シェリング解釈として承認できる点と問題点を明らかにした。 論文「マックス・シェーラーにおける本来的自由への道標」を準備した。シェーラーの『宇宙における人間の地位』における彼の哲学思索の枠組み(世界把握の枠組み)を学ぶことによって、有限者であるわれわれ人間にとって、本来的自由について語る場合に留意すべき点を学んだ。とくに着目した点は、シェーラーが「自由」の裏づけに欠かせない「生命」を取り上げていること。さらに、人間と神とを「精神」と生命「衝迫」とを共有するものとみなし、人間生成と神生成との相互依存を説いている点である。このような論点をもとにするなら、「自由」についても、単なる理念としての本来的自由の提唱ではなく、有限な人間にとっての自由の実現をも納得できるものとして語りうる。その点を、スピノザ、シェリング、ニーチェ、それぞれとシェーラーとの違いにも言及しながら明らかにした。
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