本研究の目的はソクラテス以前哲学における自律的主体としての自己概念の成立と史的展開を考察することである。初年度は叙事詩時代及びヘラクレイトスの「自己」把握を考察。宿命論の枠組みでは,人は自由意志の主体とはなりえず盲目的必然に捕らわれた存在だったが,ヘラクレイトスは人間の自由な行為選択の可能性を行為の内的動因である「エートス」の形成や改変に着目しつつ追求した。第2年度は多元論者の自己把握を考察。エンペドクレスでは,ダイモーンとしての自我は健全さを求める自然本性的衝動を有し,熟慮に基づく行為を選択しうるのであり,その限りで彼の自然学はsoft determinismであると同時に目的論的と言える。デモクリトスの決定論的原子論においても欲求や意図による自律的行為の余地が残されている。また,自己知の一つとしての自己の死の認識に関連し原子論者エピクロスは直観に反して死の無害性を説いたが,一人称のレベルで彼を反駁することはできず,これは死が通常の害悪とは異なる特殊性をもつことの証左であることも合わせて考察。 最終年度は,ストア派の自己概念そして初期ギリシア哲学における自律性の確立とその後の哲学的探究との方法論的関係の総括的考察を行った。物理主義的ストア派での「親和化」は,自己の自然的成り立ちを意識し愛着をもち自己保存の欲求を生み出す過程だが,親和的なものへの傾向はロゴスの自己展開として万有全体へと拡張し,そこにストア派の心物全体論が認められる。自己の自律性はまた行為論的のみならず認識論的側面ももつ。神話的自然観からの離脱は,人の主体的・自律的な真理の探究と認識の可能性を拓いた。例えば初期ギリシアの一元論や多元論における探究方法は,たとえプラトン(『ソピステス』)からの批判を受けるものではあっても,アリストテレスの自然学的探究方法(『自然学』や『気象論』など)に確実に繋がっている。
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