叙事詩の時代,詩人たちは人間が宿命論の中で自由意志の主体とはなりえず,盲目的必然に捕らわれた存在であると考えていたが,ソクラテス以前の哲学者たちにおいては,人間は意志,欲求,意図,あるいは熟慮といった行為の内的な動因を有し,自ら決断し行為を選択する主体であり,その意味で,彼らにおいてはじめて自己を明確に自律的な行為主体ととらえる見解が現れたと言えよう。またこのような自律的行為者は,倫理的領域のみならず認識論的領域においても見いだされうる。つまり人は行為における自律性と同時に神助に頼ることのない真理探究における自律性も有しているのである。
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