マルセル・デュシャンの日本における受容の変遷とその意義について研究を進め、戦前期のダダからシュルレアリスムへと変化するデュシャン受容のあり方を整理し、その中での瀧口修造と山中散生の役割について再検討を行った。瀧口よりも山中の方が戦前期においてはデュシャンを積極的に評価しようとしていたことを明らかにした。 さらに戦後から現代にかけてのデュシャン受容の容態を明らかにすべく、多くの作家の聞き取り調査を行うとともに、批評言説におけるデュシャン評価の変遷を再検討した。特に東野芳明と中原佑介のデュシャン論を比較検討し、戦後日本において対照的なデュシャン受容が並行していたことを明らかにした。
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