本研究は、17世紀のヨアヒム・フォン・ザントラルトおよびそれ以前のドイツ語圏の文献にみられる初期版画についての記述を検証するものである。 ザントラルトは、1675年刊行の『ドイツのアカデミー』第一主要部において、ヴァザーリによって主張されたイタリア人による版画技法の発明に対して具体的に異議を唱えた。本研究では、まずザントラルトの議論の該当箇所、第2部第2書「イタリアの芸術家」第23章「ボローニャの銅版画家マルカントニオ」の冒頭、および「ネーデルラントおよびドイツの芸術家」第2章ミヒャエル・ヴォルゲムート、イスラエル・フォン・メッヒェルンおよびその他3人の芸術家」X「イスラエル・フォン・メッヒェルン」を訳出した。 さらに、16、17世紀の初期版画についての記述を、主にヤーコプ・ヴィンフェリンク、ヨハネス・ブツバッハ、ヨハン・フィッシャルト、マティアス・クアドの著作および、バシリウス・アマーバハとパウル・ベハイムの版画コレクション目録から検討するとともに、実作品において検証した。 その結果、ドイツ語圏においては、きわめて早くから版画についての記述を見いだされた。ヴァザーリが最初の版画史を著わしたことは事実であるものの、ドイツにおいてその反論はすぐにも行われており、多くのモノグラミストたちのことにも言及されていた。本研究により、16、17世紀のドイツ人がいかに自国の芸術としての版画を尊重していたのか、ということが明らかになったといえる。
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