日本における祖師・高僧像は、宗祖の像あるいは寺院の開山の像として、古代より仏像と変らぬ礼拝対象として祀られてきた。しかし、各像の制作背景や歴史的経緯を詳細に検討してみると、従来考えられてきた「思慕の像」「礼拝の像」「師資相承の像」という枠組みでは捉えきれない僧形像が多数存在することが見えてきたのである。そこで本研究では、祖師像・高僧像・聖僧といった、いわゆる僧形の像を取り上げ、旧来の「時代」「様式」「宗派」による分類法を一度取り除き、新たに僧形像が制作された「目的」「意味」「役割」によって分類し直すことによって、日本における祖師・高僧像制作の実態や本質を解明することを目的とする。 平成27年度は、平成24年より3年間取り組んできた調査研究の不備を補うとともに、得られた成果の整理・分析をとおして、日本の祖師・高僧像の新たな分類法の確立を目指した。不備を補ったのは主に平安時代の祖師画で、弘仁四年(813)に創建された興福寺南円堂の板壁に描かれた法相宗・天台宗・真言宗の祖師画に注目した。複数の史料にあたったところ、南円堂に描かれていた祖師とは、法相宗祖師の玄奘、天台宗祖師の慧思と智顗、真言宗祖師の金剛智、不空、善無畏、一行、恵果の計8人であった。つまり、法相宗の興福寺南円堂には、自宗の祖師を一人しか描かず、それどころか空海が大同元年(806)に唐より請来した真言五祖像に一致する5人を描いていたのである。 ではなぜ興福寺南円堂の発願者・藤原冬嗣は、南円堂の板壁に真言五祖像を描かせたのかを検討したところ、冬嗣の中国美術への興味・関心に加えて、冬嗣自身が空海請来の真言五祖像を実見する機会を得ていたことが大きく関係していることが明らかとなった。こうした南円堂の祖師画の事例は、従来の「思慕の像」「礼拝の像」「師資相承の像」とは異なる動機で描かれた祖師画ということができよう。
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